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Vol.30 仲代達也さん

黒澤明監督をはじめ多くの巨匠に実力と才能を認められ、二十代から第一線で活躍する仲代さん。1975年には私財を投じ、妻の故・宮崎恭子さんとともに若手俳優育成のための「無名塾」を設立。塾への思い、新人時代の思い出など、仲代さんに伺いました。

ボクサー、歌手…最後の選択肢が「俳優」だった

終戦時、僕は中学2年生。当時は日本全体が貧しかった時代ですが、僕のうちは特に貧乏だったので昼間は用務員をしながら夜学の高校に通っていました。でも昼間働いているので、夜は勉強どころじゃない。僕を含めて夜学の学生は毎日のように居眠りをしていたんですが、それでも先生は、僕らを一度も起こさなかった…事情を察してくれていたんでしょうね。

僕が将来を考えたのは高校生の頃。今より学歴重視が強い時代だったので、実力で稼げる世界へ行きたかった…それで僕の考えた選択肢はボクサー、歌手、俳優。まずボクシングをしましたが、情けない話、殴られるのは嫌だった(笑)。また当時の歌手は、キラキラしたスパンコールつきの背広でナイト・クラブで修行してデビューというのが定番。小さい頃から内向的だった僕にはありえない。

残ったのが俳優でしたが、華やかな映画は向かないだろうと思い、中でも一番目立たない世界……と考えた時、「新劇」という非常に地味なジャンルに出会ったんです(笑)。新劇は観客数も少なく、華々しくない代わりに、歌舞伎や狂言のように血統や家柄が問われることはない実力勝負の世界。演技力を地道に磨けばなんとか食べていけそうだ。よし、これを目指そうと決意したんです。今思えば安易な選択でしたね。

それで修行をしようと俳優座養成所に入所したものの、一クラス50人のうち、世に出られるのは一人いればいいほう。しかも月謝を滞納すると公演に出させてもらえないという規則があるんです。それで僕は、夜はパチンコ店の従業員やバーテンダーをしながら3年間必死で働きました。幸い、舞台や映画に出るチャンスをつかみ、思いがけず「スター」と呼ばれる俳優になることができましたが、そうなるまでに苦労もし、人知れず努力もしました。

僕は新劇出身だから、時代劇の歩き方ができない。黒澤さんの『七人の侍』に出た時は、セリフもない通行人の役なのに「それは武士の歩き方じゃない!」と、何度もカメラの前を歩かされました。その屈辱は今でも忘れられませんね。でもそういう思いをしているからこそ必死で頑張るわけです。俳優座の同期には、宇津井健や佐藤慶などがいますが、彼らも努力家です。第一線でずっと頑張ってる役者はみんな努力家ですよ。

僕は最近、記憶力が鈍ってきたので台詞を書いた紙を家中に張って覚えていますが、それもたくさんの素晴らしい先輩方の影響です。例えば、大先輩の三船敏郎さんなどは現場で台本を持っている姿を見たことがない。全部そらんじて来ているわけです。僕たち新人は、三船さんを見て慌てて台詞を覚えて、翌日は台本なしで現場に行ったものですよ。

その役者としての姿勢を今も守り、台詞の丸暗記は「無名塾」の指導方針にもしているんです。

無名塾のおかげで「150人のこども」を授かった

30年前、僕は奥さん(女優・脚本家・演出家の宮崎恭子さん)と二人で、才能ある若手俳優を育てる学校を作ろうと「無名塾」を立ち上げました。僕自身が養成所時代、月謝のことで苦労しましたから、若い人に同じ思いをさせたくなかったので学費はタダにしました。

こう言うと格好よく聞こえるかもしれませんが、そうじゃないんです。実は人に教えることで、僕自身がすごく勉強になったんですよ。「ダメダメ。その場面はこういう芝居をやらなきゃ」と教えた後、自室に戻ってやってみると「あれ、できない……」(笑)。塾を開いて以来、授業が終わってからの深夜、自分の部屋が僕の稽古場になりました。教え子の成長とともに自分も日々学ぶことができる。先生というのは、なんと尊い仕事かと感じましたね。

ただ、奥さんとは生徒への教育方針をめぐって、ずいぶんと喧嘩をしました。プライベートではほとんど争うことがなかったのに、僕の教え方が厳しすぎると、奥さんにはしょっちゅう諌められたものです。「自分ができるからといって、他人もできると思ったら大間違いですよ」と。

彼女は10年前に病気で亡くなりましたが、「若い人を尊重するなら、その人のやり方を尊重してください」と最後まで言っていました。僕への遺言ですね。だから奥さんが亡くなった後、僕は自分には厳しく、他人には優しく、決して怒鳴らないように、と方向転換しました。

その代わり、生徒たちには口をすっぱくして、礼儀作法と健康管理をしっかりしろと言っています。特に肉体は俳優の財産です。いくら技術があっても健康管理ができない人はだめ。俳優はお客さんの前に体をさらすわけですから、常に健康状態を整えておかなくてはいけません。

実は僕は気管支喘息の持病をもっているので、若い時からいつも気をつけているんです。10年くらい前からは近所のプールに通っています。泳ぎはあまり得意ではないので、水の中を小一時間散歩する程度ですが、これがいい有酸素運動になる。それと腹式呼吸ですね。鼻で息を吸い、同時にお腹を膨らませる。いったん息を止めて吸った時間の3倍くらいの時間をかけて息を少しずつ口から出していく。これを毎日寝る前に10分続けると、内臓の調子がいい。これ、お勧めですよ。

おかげさまで妻とともに立ち上げた無名塾も30年。その間の教え子は、150人を数えます。僕たち夫婦にはたまたま子どもがいなかったけれど、150人もの子どもに恵まれ、こんな幸せなことはないですね。だって普通の夫婦なら、150人も産めませんからね(笑)。稽古場を建てるために大借金をして、苦労した面も結構ありました。続けてきた甲斐はあったかな……。74歳になった今も舞台に立ち、毎年新人が芽を出し、成長していく様子に立ちあえる。なかなか味わえない、素敵な人生を送っていると思います。

稽古場の名称、「仲代劇堂」 の看板が塾の入口に掲げてある。年に5人しか採用されない狭き門だ。

来年1月に本番を控えた『ドン・キホーテ』のチラシと使いこんだ台本。手塩にかけて育てた新人たちと08年1月6日~20日まで東京芸術劇場にて公演。

稽古場の名称、「仲代劇堂」 の看板が塾の入口に掲げてある。年に5人しか採用されない狭き門だ。

仲代達矢(なかだい たつや)。1932(昭和7)年東京生まれ。21歳で黒澤明監督の『七人の侍』に、 通行人役で映画デビュー。俳優座養成所卒業の年に『幽霊』で新劇新人演技賞受賞。俳優座の中心的俳優として活躍し、演劇や映画において国内外の数々の賞を受賞。妻であり、女優、演出家でもある宮崎恭子と設立した新人育成塾、「無名塾」からは、役所広司、若村麻由美など多くの俳優を育成。今年のNHK大河ドラマ「風林火山」では武田信虎役が好評を得る。2003年、勲四等旭日小綬章を受章。2007年10月、文化功労者に顕彰。

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