栄養補助食品二位いての考え方 研究開発と製品化の流れ
タブ・ハウス
0120-326-236 受付時間:午前9時〜午後5時 ※ご注文は土・日・祝日もお受けいたします。※お問合せは平日のみとなります。
訪問販売法に基づく表記
HOME 訪問販売に基づく表記 個人情報保護法 サイトマップ
 
橋幸夫さん
若い頃より今の方が、
声がでるようになったんです。

1960年に『潮来笠』でデビュー以来、今年で芸能生活50周年を迎えた橋幸夫さん。容姿も声も衰えを感じさせるどころか、声域が広がり、これまで歌えなかった曲も歌えるようになったそうです。歌手業はもとより、俳優や舞台、また講演会や執筆にと、そのエンターテイナーぶりは正に生涯現役。 そんな橋さんの活力の源をお聞きしました。
Vol.42(2010年11月)
生きて悔いなしの人生

おかげさまで、芸能生活50周年を迎えました。まだまだ声も元気で、若い頃より音域が上下一音ずつ広がったんですよ。何故だか、自分でも不思議で すね。タバコはとっくにやめましたが、酒はそこそこ飲みますし、たまにウォーキングをするぐらいで、特にカラダや喉にいい事をしている訳でもないし、しいていえば、歌を歌い続けている事がいいのかもしれませんね。

思えば、デビューした頃は与えられた歌を無我夢中で歌っていただけでした。なにせシングル盤を年間12枚から、多い時は16枚も出して、そんなペースが6年ぐらい続きましたから。僕らは映画の時代からテレビの時代への“走り”で、若い人たちがどんどん出てきた時代でした。特に僕は「股旅もの」から始まって、リズムのあるものやしっとりとした歌謡バラードだとか、様々なジャンルの曲をめまぐるしく歌ってきました。でも、考えると今も変わっていないんですね。陽気な『盆ダンス』なんていう曲を、振り付けまでして歌っているかと思うと、最近は小椋佳さんに書いてもらった『生きて、悔いなし』を歌ったりしています。この歌は彼と打ち合わせの時に「橋さんは生きて悔いなしですよね」と彼に言われ、「そうですね」と答えたら、そのままタイトルになっちゃった(笑)。この曲は人生をテーマにしたもので、これまで歌っていなかったジャンルの曲です。そんな事をしているうちに次は「股旅もの」を出す計画もあります。気持ちとしては、なんでも気楽に、楽しく歌えればいいなと思ってます。

こういう事を続けて50周年でしょ。ひとつずつ考えると長いけど、そんなに経ったかなという感じですね。

最近の芸能界は大変な時代

しかし、日本の芸能界がうかうかしているうちに韓国勢が凄いですね。かっこいいね、あのグループ(最近日本に上陸した韓国の人気女性グループ“少女時代”)。歌も踊りも上手で、おまけにあの美貌。選びに選ばれ、何年もかけて練習を重ねているというのがよく分かりますよ。僕はレコーディングスタジオを持っていて、若いアーティストを世に送り出そうと随分頑張った事がありますが、そう簡単にはいきません。日本の芸能界にも、ああいった完成されたアーティストが出てきて欲しいとつくづく思います。

支え続けてくれた母を介護 『お母さんは宇宙人』

母は、必ずコンサートに来てくれて、ファンの立場で後ろの方からずっと見守ってくれている、そんな人でした。ところが、ある日突然、認知症が始まりまして、妻と一緒になって介護を続けて、疲労困憊、七転八倒。心身ともに長い闘いが続きました。そこから得た考え方が「お母さんは宇宙人」なんです。介護者にとってよりよい方法っていうか、ユーモラスに視点を変える事によって、随分と楽に受け止めてあげられるようになるんですよ。

そんな母を亡くしてもう21年にもなりますが、平成元年に『お母さんは宇宙人』という、その頃の思いや生活を書いた本を出したところ、反応を沢山頂きまして、次々と、結局5冊も介護関連の本を出しました。講演依頼も数々受けまして、全国各地に出かけては話をさせて頂く機会を得ました。

ところが最初はね、橋幸夫の講演会というと“講演”ではなくて“公演”とよく間違えられたんですね。話をしている時に、お客様がじっと「歌はま だか」と待っているんだよね。で、それからは、講演会のステージにあがるとまず言うのは「今日は歌いませんからね」(笑)。

そんなこんなで、全国700カ所以上でお話をさせて貰いました。驚くほどの数ですが、それだけ介護の問題は深刻だという事ですね。これからも求められる限り活動を続けていきたいと思っています。また、及ばずながら私なりにチャリティーコンサートを開いたり、基金のためにコンサートでオリジナルグッズを売らせていただいたりもしています。世の中のために何か出来る事はないかと、いつも考えては実行していこうと思ってます。

 
 

昭和18年、東京生まれ。9人兄弟の末っ子。昭和35年、デビュー曲「潮来笠」で日本レコード大賞新人賞第1号受賞者となる。その年のNHK「紅白歌合戦」の出場から連続17 回、計19回出場。その後も数々のヒットを飛ばし、昭和37年「いつでも夢を」、昭和41年「霧氷」で二度のレコード大賞受賞。現在まで発表した曲は500曲を超える。平成元年には、認知症となった実母と橋幸夫一家の愛の物語を描いた著書がベストセラーとなり長寿社会に一石を投じた。

タブ・ハウス有限会社 Copyright (c) 2009 Tub House Inc.. All rights reserved.

 

HOME