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小椋 佳さん

生前葬コンサートで、自ら
“けり”をつけようと決意しました。

1971年にファーストアルバムを発表以来、手がけた曲は二千曲。心に沁みわたる歌で、聴衆を魅了し続けてきた小椋さんが、今年9月に行う生前葬≠ニは― その意味と、困難の中で出会った「生命の力」について伺いました。
小椋 佳さん
Vol.57(2014年8月)

『生前葬コンサート』をやろう。そう思い立ったのは、一昨年のことでした。

僕は白洲次郎のように「葬式無用」「戒名不用」という考え。でも常識人の家内は、僕が死んだら葬儀をしないわけにはいかないと言う。そんな面倒はかけたくないから、僕が生きているうちに済ませてしまおうと思いまして。こんな個人的な我がままから始まったことなんです。

49歳で銀行を退職して以来、この20年間、毎年50本から百本のステージをこなしてきました。正直もう飽きてきちゃって。体力の減退も感じてきた。以前は歌っても疲れなかったんだけどね。

僕も今年で70歳、古希です。同期は既にリタイヤして隠居しているけれど、僕の仕事には定年がない。だから、自分で けり をつけたい。 けり≠ヘ、古文の「〜けり。」のように文末に使う言葉。物事の終わりの意味があるんですね。

76年に僕がファーストコンサートを行った地で、作品二千曲から締めくくりとして選んだ百曲を歌いあげ、ピリオドを打とうと思います。

57歳のとき胃がんが見つかり、手術を受けて胃の4分の3を切除しました。当時よく「病気で人生観が変わったか?」なんて聞かれたけれど、僕は病気以前と以後、心境は何にも変わらなかった。病気になって慌てる人は、準備不足なんですよ。死に対する心得方のね。

25日間入院し、退院後は楽屋にベッドを運んで仕事に復帰。身体のしんどさに加え、辛かったのはお通じ。自在にできず、特に本番中は困りました。

でも、つらいことには必ず喜びが伴うんですね。手術後は声量もなく音域も狭かった。それが日に日に回復して、歌える歌が増えてきたんです。「生きよう」とする生命の力≠感じました。

さらに生命力の神秘を強く感じたのは、次男の病気のとき。彼は14歳のとき若年性脳梗塞で倒れ、全身不随状態になりました。その動かなかった息子の指が、微かに動いたのを見た、そのときの喜びといったら。子どもが初めてハイハイから立ったとき以上の感動でしたね。

その後息子は十年かけて回復し、現在は琵琶製作者に。初めて作った琵琶を僕に贈ってくれました。美人の嫁さんを連れてきた日は驚いたよ。息子よりも僕が気に入ってしまうくらいのね(笑)。

自分自身で納得できる歌い方ができているか。僕はお客さんのことより、自分の気持ち良さを主眼に歌っています。

「楽あれば苦あり」というけれど、あれは嘘。苦だけの人生もあるし、人生には運も必要。僕はその運に恵まれてきたと思う。70歳のいまでもホール満杯のお客様が聴きにきてくださるのだから。

今回の『生前葬』で、音楽家人生にけり という句読点をつけるんだけれど、考えてみると句読点のあとにも文は続くでしょう?

けり  っていうのは虫のいい言葉だね(笑)。コンサート後はやってみたいことがあって、すでにその準備に取りかかっています。

元々僕は臆病な人間。中学時代から続けている日記には、「この為体(ていたらく)は…」と、自分を責める言葉を毎日書き連ねているくらい。臆病で用心深いから、何でも前倒しでやるんですよ。

僕の生き方は「活命」(かつめい)。字のごとく命を活かし、一生懸命に生きることを全うしたいと思っています。

 
 

1944年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行。71年にファーストアルバムを発表、音楽活動も並行して続ける。『シクラメンのかほり』が大ヒットし、レコード大賞受賞。数多くのヒット作品を送り出す。93年銀行を退職。2001年、胃がん手術。復帰後も創作活動に励み、活躍を続ける。最新作は『闌 〜Takenawa〜』。9月12日から15日、東京・渋谷のNHKホールで4日間連続の『生前葬コンサート』を開催する。

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