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倉本聰さん

アップで見れば悲劇、ロングで見れば喜劇。
「やすらぎの郷」で、見る人の心を温める。

今年4月からスタートし、9月に終了したテレビ朝日系列の昼のドラマ「やすらぎの郷」。石坂浩二さんや浅丘ルリ子さんなど往年の大スターが勢ぞろいし、シニア世代を中心に人気を博しました。「やすらぎの郷」の立案者でもある脚本家・倉本聰さんにお話を伺いに富良野のアトリエを訪ねました。

倉本聰さん
Vol.70(2017年11月)
シニア世代向けのドラマとして「やすらぎの郷」を構想。

シニア世代を中心に高い人気を集めたドラマ「やすらぎの郷」。往年の名優たちが暮らす老人ホームで、家族や仕事、恋など、さまざまな人間模様が繰り広げられる。 今日は朝3時に起きて原稿を一つ7時半までに書き上げて、それからテレビ(BS)で「やすらぎの郷」を見ました。僕らの世代はだいたい5時半くらいに目が覚めてしまいます。ですから「やすらぎの郷」も本来は朝の時間帯でやりたいと思っていました。ところが朝の時間帯というのは、それぞれ地方局がその枠を持っていて全国ネットでの放送ができない。それで昼12時半から放送したものをBSで翌朝再放送するというスタイルでスタートしました。
 「やすらぎの郷」を書いたきっかけはいろいろありますが、僕らのようなシニア世代向けのドラマが無いということ。それにテレビというものがつまらなくなってしまったということと、僕の同級生や同じ世代の知人たちからドラマをつくってくれというリクエストが多いこと。そういったことなどが「やすらぎの郷」を構想するきっかけになっています。

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僕の仕事は「心の洗濯屋」汚れた心を感動で洗い流す。

 今のテレビ番組に欠けているのは、ひと言で言うと感動が無くなったということです。僕は感動を追うのが僕らの仕事だと思っています。普段汚れがちな人の心を、感動で震わせることで汚れをきれいに洗い流す。だから僕は自分の職業を「人の心の洗濯屋」だと思っています。それが感動させることを忘れてしまい、ただ面白ければいいと錯覚してしまう。人間を描いていけば感動って自然に出てくるはずなのに、それを忘れてしまっている。チャップリンの「人の行動はアップで見れば悲劇だが、ロングで見れば喜劇である」という言葉が、僕のドラマを描くときの座右の銘ですが、そういうことが蔑ろにされているんです。
 もう一つは、日本のドラマ界というのは、アメリカに比べて30年遅れています。その理由の一つは、日本は明治時代に東京音楽学校、東京美術学校というのがあり、それを前身に東京芸術大学が設立され、美術科、音楽科が大学にできましたが、演劇科というのはできなかったんです。日本には歌舞伎があったので、演劇教育を正規に出せなかったんだと思います。そのことの影響が今出てきていると感じています。
 例えば昔のハリウッド映画、フランク・キャプラ(代表作「素晴らしき哉、人生!」「或る夜の出来事」など)、ビリー・ワイルダー(代表作「アパートの鍵貸します」「お熱いのがお好き」など)の作品にあるような、心温まるつくり方をどこかで忘れてしまっているような気がします。見せ物としての派手さやテクニカルな方に流れてしまい、心が無くなってるように感じます。家族で見られる温かさのようなものが、我々のそばから欠け落ちているような気がしますね。

富良野の冬には清潔感がある。また来る冬にワクワクします。

 季節は冬が好きです。富良野の冬には清潔感があります。汚いものが全て凍ってしまいますから。僕が富良野に来たときはマイナス30度を超える寒さでしたが、最初のひと冬で40年間の東京の垢が見事に凍結して流れ出たようでした。3、4日前から雪虫が舞い始めています。雪虫が出てくると不思議に2週間後くらいには雪が降ります。だからそろそろ冬がまた来ると思って、今ワクワクしているところです。だから死ぬんだったら冬がいいですね。
 「やすらぎの郷」では、老人ホーム・やすらぎの郷の創立者・加納英吉が息を引き取るときに、自分の遺体を海に沈めてくれと言い残します。あれは僕の心情で、僕の理想は山の中での凍死です。そして体は狐なんかに肉を喰われて骨になり、骨は微生物に喰われてやがて土に還っていく。長い年月が過ぎて、一切が土に還ったときに初めて、その人が死んだと言えるような気がします。

(左)富良野移直後(1970年代) (右)愛犬ヤマグチと。
禁煙という文字がストレス、タバコは創作活動の必需品

 僕は今、1日80〜100本、タバコを吸っていますが、僕にとって一番身体に悪いのは、禁煙という文字を見ることです。あんなにストレスのかかることはないですね。
 昔はタバコを日本専売公社という大蔵省から分離独立させた特殊法人が扱っていたわけで、国策によってニコチン中毒にさせられたようなものなのに、今になって止めろと言われるのは理不尽な話です。例えばドラマをつくる、いろいろな思考をするということが、手でタバコを持って口に運び煙を吐くという行為と、脳の中の創作活動が一体化してるんです。僕はもう肺気腫になっていますし、3カ月に一度はドクターチェックを受けています。僕は今まで健康で良いものを書いて、人を感動させるということを職業にしてきたんです。そのために苦しくてもタバコを吸って脳を創作に向けていたのに、それを止めたら作品を書けなくなる。そうすると僕は世の中の役に立たなくなる。それだったら意味が無いと考えています。

年を取ったからこそ言うべき義務がある。

 「やすらぎの郷」ではテレビ界に対して言いたいことを、かなり盛り込みました。「やりすぎの郷」なんて言われたくらい、若いころだと遠慮して世の中に言えなかったこと、言うべきことを言ってやるという気持ちでした。僕はシニア世代がやらなくてはいけないこととして、年を取ったらその分だけ言わなくてはいけない義務があるような気がしています。
 定年を過ぎて老人になり、世の中に対するしがらみも無くなってきたときこそ、言うべきことは言うべきだと僕は思います。例えば子どもたちの礼儀作法にしても、親が子どもに対して教育することも、子どもに嫌われたらどうしようと考えるのではなく、厳しく言うべきだと思います。どんなに厳しくしても、愛情があれば嫌われることはありません。このままでは駄目な若者を育てていってしまうように感じています。

(左)脚本家になった頃。 (右)ラジオ収録風景。左から2人目が来日した黒人歌手のビリー・バンクス、右端が倉本さん(ニッポン放送時代)
小学生が初恋をするように80歳過ぎても恋をする。

「木の一本一本にドラマがある」と富良野のアトリエの周囲などにある木を見て回りながら、点描画を10年以上描き続けている倉本さん。 「やすらぎの郷」では年令の差を超えた恋愛の話がいくつも出てきます。僕は80歳を過ぎていますが、恋をするのはむしろ当たり前だという感覚があります。年を取ったらなぜ恋をしちゃいけないのっていう感覚ですね。肉体的に無理であっても恋はできるわけで、逆に言えば小学生が初恋をするような感じに戻っていくのかもしれません。むしろ純粋な恋をし始めるのじゃないかと思いますね。

 
 

1935年生まれ。東京都出身。東京大学文学部美学科卒業後、ニッポン放送入社。63年に退社後、脚本家として独立。77年、北海道富良野に居を移す。84年、俳優や脚本家を養成する「富良野塾」を開塾。2010年、「富良野塾」を閉塾。代表作に「北の国から」(フジテレビ系列)、「前略おふくろ様」(日本テレビ系列)など多数。「NPO法人富良野自然塾」を主宰し、閉鎖されたゴルフ場に植樹をし、もとの森に返す自然返還事業とそのフィールドを使った環境プログラムにも力を入れている。

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