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祖父・幸田露伴、母・幸田文の背中を見つづけ、65歳にして文壇デビューを果たした青木玉さん。
昨年は、着物にまつわる豊かな文化をまとめた「着物あとさき」を上梓。凛とした和服姿がお似合いの青木さんに、ご家族のこと、お忙しい文筆活動の中で大切にされている「暮らしの礎」 などについてのお話を伺いました。
Vol.25(2005年8月)
生命の力を信じて走り続ける私の生き方
「取材をお受けする時、お話の手順を先に考えないようにしております。考え過ぎて、重たい話になると、読む方にお話が素直に伝わりませんから」
 柔らかな語り口調でありながら、その一言ひとことに秘められる強さは、凛とされた青木さんの佇まいと重なります。

 すらりとお背の高い青木さんからは、ほのかな白檀の香りが漂います。この日のお召物は涼やかな淡いグレーの平絽。併された露草の模様の描き帯は、青木さんのお母様=幸田 文さん(注1)のお着物を解いたものだとか。
「高価で、良質な布だから良い着物ということではありません。季節感やお会いする相手、体調に合わせて選ぶのが、着物の愉しさです。それを実践し、自由に着こなしていたのが母でした」

 青木さんは今でも、日々の小さな選択や、折節の決断の際、「母だったら、どうするかしら?」と心の中で対話をなさるのだとか。
「外では、文筆家の顔でしたが、私を見る時の顔つきは、常に母親としてのそれでした。とにかく気丈で クシャクシャと思い煩うことが大嫌い。そして厳しさを持つ母でした」 母・文の 厳しさとは、つまり祖父(注2)から脈々と受け継がれたものに他ならないと青木さんはおっしゃいます。九つの時から十年間、文京区小石川の家でお祖父様とお母様の三人での生活を送られました。 万事に愚かさを嫌う祖父の叱責の嵐は、一人っ子である孫娘にも容赦がなかったといいます。

「叱られるということは、直さなければならないところがあるわけです。十歳の私には、何を直さなければいけないか見当がつかなくて、次々ミスを重ねました。祖父が何を考え、望んでるのか、咄嗟の判断に迷い続けた十年間でした。どのくらい人の心の奥まで探れるかが人間の技量であるならば、ボンヤリしていた私は、祖父からすれば、デキの悪い孫に他ならなかったわけです。そんな祖父の感覚に副うような状況に、私を早く適応させねば。そんな想いで母は私を厳しく躾けたのでしょう」

注1:1904年、作家の幸田露伴の次女として東京向島に生まれる。露伴没後に随筆集を出版し注目された。代表作に「黒い裾」「流れる」「闇」などがあり、没後に「崩れ」「木」「きもの」などが発表される。1990年死去。享年86。
注2:幸田露伴。尾崎紅葉とともに日本文学史に名を残す紅露時代を築き、擬古典主義を代表する小説家。代表作に「五重塔」「風流仏」「連環記」など多数。1947年死去。享年74。
生命の力を信じて走り続ける私の生き方
 実母・文さんについてのお話から、青木さんは、”もう一人の大切なお母さん“のことも語って下さいました。三十歳で嫁がれた先のご両親は思いやりに溢れた方々だったとか。
「主人は兄弟が多いのですが、大勢の子を自分の手元で育てた人というのは、こんなにも懐の広さがあるのかと感じいり、幸せでした。両家の親同士はうまくいかないとよく言いますが、私の場合は両方の母同士の気が合って、いいつきあいでした」

 青木さんの、お二人のお子さん方(ご長女は作家の青木奈緒さん)がまだ小さかった頃は、毎年のように両方のお母様と一緒に、賑やかな旅行を楽しまれたといいます。
 年月は過ぎ、今やお二人のお子さんもそれぞれご活躍されている青木さん。

「子供たちとはスープの冷めない距離に住んではおりますが、心の距離感は適度に置いてます。”命あっての物だね“という言葉が好きですが、子供たちにも、どうか無事でいてほしいということだけを切に願っております。ですが、生きる道は、子供たちが自分で見つけるものと考えております。そうそう、大分前から、子どもたちは私を”たまちゃん“と呼んでいます(笑)」
 風通しの良いご家庭の様子が伝わってきます。
生命の力を信じて走り続ける私の生き方

『小石川の家』で文壇デビューをされたのは、青木さんが六十五歳の時でした。お母様の死後、出版社からご家族の想い出を綴って欲しいという依頼が後を絶たなくなったのがきっかけとか。お母様の、想いや才能がほとばしってくるような文章を綴る姿を見続けてきた青木さんにとって、自分が同じ道を辿ることは、予想もしていなかったことだったそうです。

「ただ、編集のお相手は聞き上手ですから。私が胸にたたんでおいたものの糸を解き、活字が組まれ、世に出たという印象ですね」
 そうおっしゃる青木さんですが、以後、『幸田文の箪笥の引出し』『帰りたかった家』『手持ちの時間』他、多岐にわたる文筆活動を継続されています。
「私の毎日はまるでクズ屋のよう。人がつまらないと見捨ててしまうような事を見つけては、再生させるのです。今でいうエコライフですよ(笑)」
 また、文筆を始めた当初よりも、心の緩急の調和が取れるようになったともおっしゃいます。

 「真面目すぎるより、少し間が抜けてるくらいが人として魅力的であるように、最近は(文筆業という)変則を愉しもうと思っています。これも素人の強みかしらね(笑)」
 心の緩みを心がけている一方で自分の能力内で一生懸命であることも続けてらっしゃる青木さん。最後に今後の抱負をお伺いしました。
 「これからも、日々”犬かき“ですよ。あら、私の名前は玉だから”猫かき“かしらね(笑)。ご存知?猫だって泳げるのですよ」
 生き方の奥行きを感じさせる、素敵な笑顔でした。

生命の力を信じて走り続ける私の生き方

 お話を終えられた青木さんが、我々編集部スタッフに対して、手をつかれ、深々とお辞儀される姿に心を打たれました。「頭が高いと母から厳しく躾られましたもの。」お帰りの道中、小石川にあるご自宅へ同行させて頂いた際、ご自宅の前にある大きな椋の木を見上げながら、「木の真中にぽっかりと穴が見えるでしょう?あの穴の中にはどんな鳥がいるのだろう?小さな時は、いつも、こうやって背伸びして覗こうとしましてね…。」たおやかさと可憐さをあわせもつ笑顔でお話になる姿が、実に印象的でした。

     
「着物あとさき」
母から娘へ、娘から孫ヘ。
着物の楽しみ方を綴った
最新刊。
「小石川の家」
母・文と厳格な祖父・露伴
との日々を綴った
文壇デビュー作。
「帰りたかった家」
母・文と優しい父と
過ごした幼い日を
描いた自伝エッセイ。
「上り坂 下り坂」
文に教えられた、
心を込めた暮らしの知恵を
懐かしむ随筆集。
 
       
「手持ちの時間」
もらった絵手紙、道端の
猫など何気ない日々を
丁寧に綴る。
「幸田文の箪笥の引き出し」
文が遺した着物の数々を
母の思い出とともに
振り返る。
「こぼれ種」
庭の花から街路樹、
巨木を訪ねる旅までを
語る「植物めぐり」。
 
 
 
青木玉 あおき・たま(77歳)
1929年幸田文の長女として東京に生まれる。'49年東京女子大学国語科卒業。'59年結婚。'90年に母が没してのち、『崩れ』『きもの』『木』『季節のかたみ』などの遺稿の整理と『幸田文全集』の編集に携わる。'95年『小石川の家』で'94年度芸術選奨文部大臣賞受賞。著書に『幸田文の箪笥の引き出し』(新潮社)、『帰りたかった家』『なんでもない話』(ともに講談社)、対談集『祖父のこと 母のこと』(小沢書店)など多数。最新刊は昨年発表した『着物あとさき』(新潮社)。
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