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タブ・ハウス
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「オヒョイさん」のニックネームで、あらゆる世代に親しまれる藤村俊二さん。
ご自身が経営する南青山のワイン&バーを訪ねると…七メートルもの一本木の梁、靴音が綺麗に響く床材、日干し煉瓦。「本物しか使わなかった」という店内には、独特の素敵な空気が漂っていました。そんなこだわりの美意識を育んだ藤村さんの生いたちも含めて、お話を伺いました。
Vol.28(2007年5月)

僕は、父と母にとても影響を受けて育ちました。というか、昔はみんなそんなもんでしたよ。両親に限らず昔の「大人」は皆尊敬できる、憧れの存在で、お手本になる人がいっぱいいました。だから自分も、二十代のときは三十代に、三十代のときは四十代に、というようにずっと上の世代に憧れてきましたね。

 小さいころは、すごく癇の強い子どもだったみたいです。よその子が持っているおもちゃを欲しがって、母が同じものを買ってきても、「あの子のあれが欲しい」って絶対譲らないくらい。でも母は一度も声を荒げて怒ったことはありませんでした。兄貴と障子を破るくらいの喧嘩をしても、「やめなさい!」なんて言わずに、頃合を見計らって「疲れたでしょう、お茶にしましょう」なんて言ってね。僕は元気がよすぎて幼稚園をクビになっているのですが、「よかったわね、おうちでゆっくり遊びなさい」と言うようなお袋でした。ただ躾は厳しかった。「顔を洗ったら飛沫をあげたままにしておいてはいけない」とか、「靴を脱ぎっぱなしにしないように」とか、「次に使う人のために綺麗にしておきなさい」ということはよく言われました。「怒る」じゃなくて「叱る」ですね。

この店ではお客様がお帰りになるとき、必ず表まで出てお見送りしますが、それも母から受け継いだ習慣です。僕が学校へ行くときに、必ず姿が見えなくなるまで見送ってくれましたからね。
僕がそういうものだと思ってやっているから、スタッフもそうする。
「マニュアル」なんていって、紙に書いて教えるようなことではないのです本当は。

 父にも大事なことを教わりました。高校のとき、友だちと芸者さんをあげて遊んで、遊興費がなくなったからうちに取りに帰ってみたら、親父が事業に失敗して家が人手に渡っていたんです。
しょうがないから道具屋さんを呼んでめぼしいものを売ってお金を作りました。勘当覚悟で親父たちがいるところへ帰っていったら、お袋が「俊二、いい都々逸教えてあげるわ」って言うんですよ。
「意見聞くときゃ頭を下げな、下げりゃ意見が上を行く」ってね。いざ親父の前に行ったら、親父は親父で、「俊二、お前、眼がある。高いものから売ったぞ」って言ってくれました。今にして思えば、あれが本物を見極めるという意味で僕の生き方のターニングポイントになっていますね。贅沢に育ったと思います。

 高校卒業後、演出家になりたくて早稲田の演劇科に行きましたけれど、理論とか歴史ばかりで嫌になっちゃってね。僕は若いころは、演出家というのは、自分で譜も読めて、歌も歌えて、芝居もできて、台詞もちゃんと言えて、初めてできるものと思っていたものですから、ちょうど東宝に芸能学校ができて、実践を学べるほうがいいと思って、早稲田をやめてそっちに移っちゃいました。

 卒業後は日劇ダンシングチームに入りました。ヨーロッパ公演に連れていってくれると言われてね。半年くらいスコットランドのグラスゴーからロンドンまで回って、ロンドンで本場のミュージカルを見たときに、あまりのすごさにカルチャーショックを受けましてねぇ。こりゃ駄目だ、俺たちのしていることは一体何?とがっかりしました。それで公演を終了後、パリへ単身渡ってマルセル・マルソーさんの教室でパントマイムを学ぶことにしたのです。しゃべっちゃいけない、歌っちゃいけない、よけいなことはしちゃいけない、という表現を学ぶことが、そのときの自分にはいいと思ったんです。当時はずいぶん遠回りしたなあと思いましたけど、今思うと、いい経験だったと思います。

 帰国した当時は、舞台の振付師はいたけれど、テレビの振付師はいなかったのです。いろいろ基礎があるのだからやってみろよ、と言われてテレビの振付師第一号になりました。

 その後「ゲバゲバ」や「カリキュラマシーン」などのコミカルなものも手がける
ようになりますが、もともと自分の中にギャグに傾倒する部分があったのでしょうね。
当時は面白いギャグを書く人がたくさんいて、役者も振付師もよけいなことをしなくてよかったのですよ。例えばね、エレベーターが来て、客が乗ろうとすると、エレベーターガールが「横へ参りまぁす」。山賊が山の中を歩いていると、一番後ろに海賊がついてくる。「お前なんで海賊なのに山賊についてくるんだ」というと、「だって僕泳げないんだもん」ってね。それだけのことなんだけど、見ている人はちょっとクスッとして、カクッとくる。
それだけでいいんですよね。ギャグが主役だったから、とてもスピーディで面白いものができたんだと思いますよ。今のテレビ番組は、出てる人が頑張りすぎちゃっててね。なんだか痛々しい。

 店を開けるときは、舞台を開けるのとおんなじ感覚です。掃除をして光量がきっちり計算された灯りを入れて、カーテンを開けて、音を流して「さあいらっしゃい」。

お客様に楽しんでいただくという点では、ここにいても僕は役者みたいなもんです。ただこの店は、100%僕の好きなものだけでできているので、やはりほっとしますね。
本当に手がかかっていますよ。たまたま取材で出会って気にいった建設会社に、英国の家をイギリスで一回建ててもらって、それをばらして日本に送ってまた組み立ててもらったんです。イギリスの建物の中で、フランスのワインを飲みながら、アメリカのジャズを聴いて、日本人の口に合う西洋料理を食べるというのが一番いいと僕は思います。

だからそれを実践しただけ。ここへ来たら、ウンチクは傾けないでグラスを傾けてほしいです。

 好きなものだけに囲まれて暮らす、それが僕の幸せ。気楽にできているのでしょうね。人と比べないし。人と自分を比べると不幸が始まります。すごいことをやっている人がいても、それはその人のすごさだから真似しようなんて思いません。
何かやっても、誰か以下だったらみじめったらしいじゃないですか。誰か以上のことをやろうとしたら疲れるじゃないですか。

今の年の今の自分が楽しい。
今、「七十二歳」をやり始めたばかりだけど、どんなに楽しいことが待っているかとわくわくします。もっと先の、「八十歳」はどんなだろうって、今から楽しみにしていますよ。

生命の力を信じて走り続ける私の生き方

 本物だけに囲まれているということがどれだけ心地よいことか、このお店に来てよくわかりました。
まるでお店の一部として溶け込んでいるかのように存在そのものが素敵な藤村さん。
  藤村さんがお話の合間に微笑まれと、こちらも自然に頬が緩んでしまいます。
まさに「憧れる大人」です。大人の味わう贅沢というのは、物質的なことばかりではなく、心の贅沢さなのだと思いました。

 
 
愛飲のシガリロはキューバ産の「ホヨードゥモント
レー」。香りが純粋なところが藤村さんのお気に入り。
鎌倉のご自宅の離れにて。左から、お母様、
お兄様、藤村さん、お父様、おばあ様。
 
 
「オヒョイ'ズ」シェフの夏目さんと藤村さんは、
東京・三番町で「夏目亭」というレストランを開いていた
ときからのつき合い。新鮮な食材で誂える日々のメニ
ューはお客様の楽しみ。
店の内装も調度もすべて本物。いっさいウソがない。
「小物や絵は全部僕の私物。ただ好きってだけで、
別に全部が値打ち物じゃないです。道端で100円で
買ったものもありますよ」と藤村さん。
 
 
藤村俊二(72歳)
1934年鎌倉生まれ。暁星小・中・高を経て早稲田大学文学部演劇科二年中退。東宝芸能学校舞踊科第一期卒。日劇ダンシングチーム第12期生。
日劇公演「TOKYO1961」の一員としてヨーロッパ公演に参加、のちに単身パリでパントマイムを学ぶ。帰
国後日劇を退団、振付師としてテレビやコマーシャルに関わる。ドリフターズ
「8時だョ! 全員集合」のオープニング、レナウン「イエ イエ」のCMの振り付けは有名。俳優としても活躍する一方、自身の好みを最大限に生かしたワイン& バー「オヒョイ,ズ」を南青山に開店。
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