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”ドラえもん“と歩んだ26年間をまとめた「ぼく、ドラえもんでした。」を上梓し、来年からは音響芸術専門学校校長として次世代の育成にあたる大山さん。「幸せに生きる礎」、「今だから伝えたい事」を伺いました。
Vol.25(2005年8月)
生命の力を信じて走り続ける私の生き方
 先日、怎`ャック(親友の黒柳徹子さん) 揩ェ言うのよ。「私たち、この世界で五十年も前から一緒に仕事してるのよ」って。半世紀ですよ。そのうち、二十六年間は、怩の子揀hラえもんが占めています。
 日本中のどの子どもよりも一番先に作品を観て、笑っては涙し、声入れして、それが生業になる。あぁ、私はなんて幸せ者なのかしらと思い続けて、気づけば二十六年、四半世紀と一年が過ぎていました。

 ドラえもんを演じるにあたって、一番こだわったのは「言葉遣い」です。あの子は未来から来た「子守り用猫型ロボット」なんです。お母さんの代わりとして教育する立場のロボットなんだから、人を傷付ける言葉を使うわけが無いと思ったの。「コンニチハ、ボク、ドラえもんです!」の台詞も、初めて会う人に自己紹介するのは当たり前の事と思って、私から提案させて頂きました。こんな調子で最初の十年は台詞直しの繰り返し。だって、敬語や男言葉・女言葉がある国なんだもの。全国の子供たちに美しい日本語を伝えなくっちゃね。

 ドラえもんに関わる出演者、製作スタッフとの出会いは宝物です。家族よりも長い時間を共有したのに、揉め事ひとつ起きず、卒業を迎えました。
 あの子がいるだけでみんなの気持ちが丸くなるのね。これは原作者の故藤本弘先生の優しいお人柄がなせる業だったと思います。うふふ、あんなこともこんなこともあったな・・・。そう思い返す度、あの子が偉そうに語りかけてくるの。
「ほらね、大山さん、勉強になったでしょ?」って(笑)。
生命の力を信じて走り続ける私の生き方
 東京生まれの私は、四世代同居、十三人家族の中で育ちました。兄は十一歳違うので子どもは私一人。まさに大人の「二十四の瞳」に囲まれて育ちました(笑)。江戸生まれのひいお爺ちゃんを筆頭に四世代が三度の食事で集い、まぁ、会話の尽きないことといったら!あの頃、会話が最高の娯楽でしたね。

 私はよく「人間の背負い水よ」と言われて育ちました。人は一生に使う水を背負って生まれ、水が無くなれば一生は終わる。水はもちろん、お金、着るもの、食べ物でも、持って生まれた「分」を大事にしないといけないということなのね。今も肝に銘じています。
 それから、お台所の仕事も日々の会話の中で自然に覚えました。怩ヘしりはダメダメ、旬が一番暾恣Vから白いものが落ちてくると、白い物が美味しくなる揩ネど挙げると切りがありません。

 先人たちが繰り返していた言い伝えや諺ってね、凄く大切なことだと思うの。お婆ちゃんは「世の中が変わっても、人の心は変わらない」っていつも言っていたけれど、私は、変わることのない日本人ならではの正しい心構えを伝える怎pイプ揩ノなりたいと思いますね。これはドラえもんを始めた頃から強く意識していることです。主人(タレントの砂川啓介さん)に「ずいぶん太いパイプだね」なんてからかわれていますけど(笑)。
生命の力を信じて走り続ける私の生き方

こんな賑やかな家庭で、お喋りが大好きな子どもに育った私ですが、中学生の頃、大きな壁にぶつかりました。原因は私の「声」。
「大山が声出したらみんなで笑う」っていう嫌な遊びが流行って、人前で話す事が憂鬱になってしまったのね。それまでは「十分黙っていればおやつをあげる」なんて言われるくらいに活発だったのに、学校でも家でも黙り込むようになってしまいました。見かねた母が、こう言ったのです。
「あなたは、もう少しお利口さんかと思っていたわ。目でも、手でも、足でも、そこが弱いからってかばってばかりいたら、ますます弱くなるの。弱いと思ったらどんどん使いなさい。人様が聞き取りやすい声の出し方を覚えなさい」
「お母さんは正しい!」そう確信した私は、翌日から放送研究部に入り、そこからは、もう全力投球。一ヶ月もたたない内に私の声を笑う人はいなくなりました。ラジオが一番輝いていた昭和20年代。マイクロフォンや芝居が大好きになった私は連続放送劇を作ったり、文化祭では「シンデレラ」の初舞台に抜擢されるまでになりました。コワーい継母役ですけれどね(笑)。

 私を正しく方向付けてくれた母は、私が高校二年生の時、四十二歳の若さで亡くなりました。入院中、母に付き添い、看病できた時間は私にとって人生の財産です。看護婦さんをモデルに、着物の着付けを教えてくれたり、三度の食事のしつらえや、読むべき本、映画・・・。母は私に長い人生で必要なことを大人の責任として教えてくれたのです。
 ひいお爺ちゃんやお婆ちゃんたちが教えてくれたことは、母へ、そして私へと伝わっています。私には子どもはいないけれど、ドラえもんを愛してくれている全国の子どもたちがいます。彼らや彼女たちに伝え続けたいですね。うふふ、それにね、怎hラえもんのおばちゃん揩ェ言うとね、みんな話しを聞いてくれるのよ。幸せです(笑)。

生命の力を信じて走り続ける私の生き方

「お洒落することは大好き!」とパンツスーツ姿で颯爽と現れた大山さんのお若いこと!料理研究家としての顔も持つ大山さんですが「私ね、50歳過ぎてから主人に料理を教えたの。今ではあちらが我が家の板長さんなのよ」と語られるご家庭からは、今にも笑い声が聞こえてきそうです。先人の智恵を大切にしながらも、常に「前に進め!」を実践されている大山さん。ドラえもんのポケットのように、マルチで夢溢れるご活躍が今後も期待されます。

大山のぶ代 おおやま・のぶよ(70歳)
1936年、東京生まれ。都立三田高校在学中に劇団俳優座養成所入学。56年「この瞳」でデビュー。出演作に「名犬ラッシー」「ブーフーウー」「江戸を斬る」など多数。79年〜2004年度までの26年間「ドラえもん」の声を担当し、05年「放送ウーマン賞」受賞。著書に、料理研究家として『大山のぶ代のおもしろ酒肴』、水の研究家として『大山のぶ代の水なんだ!?』ほか多数。07年には音響芸術専門学校校長に就任し、後進の育成にもあたる予定。
 
 
 
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