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乳がんの手術とうつ病を比べて
どちらがつらかったかとたずねられたら
私はうつ病と答える
(書籍『妻の乳房』より)
Vol.23(2006年2月)
女性が最もかかりやすいがんと言えば、「乳がん」。栄養状態が良くなり、閉経も遅く、少子晩婚化が進む現代では増加の一途をたどっています。日本人の三〇人に一人がかかり、女性のがん死の第一位にもなっていて、再発の不安から自殺を図る人や、うつ病になる人も少なくありません。

 女優・音無美紀子さんが乳がんの手術を受けたのは十八年前のこと。音無さんも、乳がんの手術後に、その喪失感と再発の不安が引き金となって、うつ病に苦しんだそうです。音無さんは一昨年、その体験を当時の日記をもとにして、ご主人の俳優・村井国夫さんとともに『妻の乳房』という書籍に著しました。それには予想以上の反響があり、乳がんや手術後のうつ状態に悩む多くの女性や家族の方々から、五〇〇通を越える手紙が届いたそうです。

「乳がんの手術とうつ病を比べて、どちらがつらかったかとたずねられたら、私はうつ病と答える」

 これは書籍での音無さんの言葉。もともと楽天的で明るい性格だったのにうつ病になるなんて、思いもよらない出来事でした。
 術後、うつ病が最も激しい時、音無さん一家はちょうど新居建築の最中でした。周りからは新居の壁紙を決めるなど楽しい作業をしていれば元気になると言われたそうですが、思うのは「どうせ私はここには引っ越して来れない」「この家が建つ頃にはもう生きていない」ということばかり。壁紙だろうと何だろうとどうでも好きなようにしてくださいという気持ちでした。
 周りの人が気を遣ってくれて、おいしいものを作ってくれたり、楽しいことをしようと誘ってくれても、それに「乗る」という気持ちがないためついて行けない。周りが楽しくしようとしてくれるほど申し訳ない気持ちになって、私はどうしてダメなんだろうと暗い気分になるのでした。

 そんな時に、借りていた家の持ち主が急きょ海外から帰って来ることになり、半年以内に新居に引っ越さなくてはならなくなりました。「もう命はない」つもりが実際には生きているから、さてどうしようということになり、暗い気持ちで鉛のように重い体を引きずるようにして荷造りを始めました。
 下の子供の幼稚園の手配もあるし、仕方なくお茶碗を包むなど引っ越しの準備を始めると、最初は辛かったことを夢中になってやっている自分に気付きました。辛いけど一歩を踏み出すということが、現実問題に追われたことで結果的にできたのでした。
 引っ越してみると、新居は清々しく明るい家で、たくさんの緑に囲まれ、朝日が射し込み、窓からは富士山も見えました。なんて美しい眺めだろうと感動した音無さんには、そうした自然の力もうつ病を癒す薬となったのでした。

「でも、もし一人きりでいたら、ずっとダメだったかも知れない。わがままにしていられない状況が周りにあったことが、回復を早めたのだと思います」

 人から必要とされることは元気になるための大切な要素でした。うつが辛い時には、そんな自分を不憫に思ったけれど、自分以上に子供は不憫だと思いました。側に居ながら何も出来ない母親。大好きだったお料理さえ、どうしていいかわからず手につかない。子供に笑顔すら見せられなくて、楽しいはずの子供の毎日を楽しくないものにしてしまっている。死んで逃げることばかりを考えていたのが、やがて子供が不憫だと思うように変わっていきました。

 そのきっかけのひとつとなったのが、子供の夏休みの宿題、絵日記でした。どこにも連れていくことが出来ず、材料がなくて、毎日「今日は何もありませんでした」と書く子供のために、お料理でもしてみましょうかということになりました。目玉焼きを作りたいというので、辛いながらもフライパンを何とか持ち上げました。うつ病になってからは何もする気が起こらなくなっていた音無さんにとって、フライパンはとても重く感じられました。ため息をつきながら、火にかけ、油を引いて、ぽんっと卵を割り入れた瞬間でした。

 落ちた卵がきれいな真ん丸を描きました。あまりにきれいな丸なので、子供はとても喜びましたが、それ以上に音無さん自身が驚きました。料理さえ出来なくなっていた私に、こんなにきれいな真ん丸の目玉焼きができるなんて。嬉しさに思わず涙が溢れました。
「主人は私に対して何もできなかったと言いますが、私に元気になってほしいと待っていてくれることが毎日毎日続いていたから、明日こそお料理を作ってみようとか、元気に笑ってみようという気持ちになれたんだと思います。家族はチーム。誰かに必要とされる感じは、とても大切だと思いました」

 女優という職業柄、乳がんのことを隠さなければならなかった当時の音無さんにとっては、特に家族の存在は大きかったことでしょう。十八年前ではまだがんに関する情報も今ほどはなく、「こんなに元気になった」という自信もなかなか持てなかったため、ご自身の体験を公表するまで長い時間が必要でしたが、今、音無さんは語り合うことの大切さを訴えています。

「私は誰にも言わなかったけれど、患者さん同士が情報交換した方が元気になれると思います。ブラジャーはどこで買っているのとか、温泉に入る時はどうしているとか、術後のこんな症状は大丈夫とか」

 書籍を出して、乳がんの人たちのネットワークに出会い、自分が輝いて生きていることで誰かを勇気づけたいと思い、そのことがまた音無さん自身の励みにもなると気付きました。それは宝塚を見て感動し、人に夢と力を与えることの素晴らしさから、女優になりたいと強く思った瞬間の気持ちに良く似ていました。その時、がんになったのも、書籍を出したことも、何か意味があったのだと感じたそうです。
「うつ病の時に、落ち込むなとか前向きに、なんて言葉は虚しいのよね。『私だってそうしたいの』って思うはず。でも、どんなに辛くても明けない夜なんてないから。もがくより流れに身を任せて、ゆったりした気持ちでいてほしい。時間が薬になると思います」
 インタビューの最後に、音無さんはそう語ってくれました。

妻の乳房
「乳がん」と歩いた二人の十六年
発行:光文社
定価:1,365円(税込)

女優・音無美紀子さんの入院当時の闘病日記をもとに、乳がん手術、術後のうつ病を克服して笑顔を取り戻すまでを夫である俳優・村井国夫さんとともに著した書籍。音無さんの心中、そして村井さんの妻への思いが、真直ぐな言葉で心に飛び込んでくる。

おとなし みきこ 東京生まれ。66年、劇団若草に入団。TBSのテレビ小説『お登勢』で一躍脚光を浴び、数多くのテレビや映画に出演。88年に乳がんの手術を受けたが、回復して現在に至る。

 

 
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