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十六歳でデビューして約半世紀、歌に生きてきた島倉千代子さん。
その道のりは決して平坦なものではなく、
病気によって「死」を覚悟し、歌をうたえないことに絶望したこともありました。
でも、そういった日々を経て、今は歌える喜びを胸に、 ステージで華やかに輝いています。

Vol.12(2003年9月)

 乳がんの手術をしてから十年が経ちました。お医者さまからは「ここまできたら、もう心配ないね」と言われました。
 とはいえ、手術では左脇の下を切開したので、今でも毎日のリハビリは欠かせません。ちょっと気を抜くと、すぐに左腕が上がらなくなるからです。  

 着物を着れば、結ぶ帯や締める紐が当たって傷が痛みます。
ステージで衣裳の早変わりなどがある時は、スピードが勝負。一気にギューッと縛るので痛みも強烈で、ちょっと辛いですね。

 気候によって痛みが増したりと、まあ、色々ありますけど、今では「痛みも友達」と考えられるようになりました。「これから先も仲良く付き合っていこうね」という気持ちです。何よりこうして生きていられること自体、幸せなのですから。

 十年前、「限りなくクロに近い」という言い方で、お医者さまから乳がんを告げられた時、私は絶望感で目の前が真っ暗になりました。今でこそ、「早期であれば治る」など、がんは決して不治の病ではないと普通に語られるようになりましたが、当時は、「がん」イコール「死」のイメージ。 

 私も手術を前に、日記を焼いたり自分の持ち物を処分し、身辺を整理しました。生きて病院から帰って来られるとは思わなかったからです。

 手術でがん細胞を取り除き、私は助かりました。ただ、命を失うことはなかったものの、思いもよらなかった事態にも直面しました。手術後に受けていた放射線治療の後遺症で、声が出なくなったのです。声は歌手の生命線。その声が出ない。出たとしても調子がおかしくて、とてもお客さまに聞かせられるものじゃない。
「歌手・島倉千代子はもう終わり」と、何度も何度も泣きました。それでも、声を取り戻すためにはどんなことでもしようと心に決め、先生についてボイストレーニングを始めました。

 今もずーっとボイストレーニングは続けています。六五ともなると、耐久力をはじめ、歌を歌うためのもろもろの体の機能やのども衰えてきます。年齢から言っても、これまでと同じ状態を維持するのは難しい。だけどトレーニングによって、衰える速度を少しでも遅くすることはできます。もうこれは自分との闘いですね。 

 体も自分なりのトレーニングをしています。まず歩くこと。そして腹筋の運動。腹筋は、声を出すためには必要な筋肉です。

 そうそう、今年の三月に発表した『ちよこまち』という歌があるのですが、その曲のリズムに合わせて体を動かす『千代ちゃん体操』なるものを今、考案中なんですよ。コンサートに来てくださったお客さんたち皆さんと一緒に、その場で楽しみながらできるような体操があるといいなと思って……。

 肩を回したり、指でグーとパーをやったり、千代ちゃん体操の構成を考えたり研究していると、もう汗びっしょり。目下、それが私にはとてもいい運動になっています。

 体重のコントロールにも気をつけています。ステージではドレスも着ますが、作った時の体型を維持しないと、次にそのドレスが着られなくなっちゃいますからね。

 服といえば、私はステージを離れるといつもジーンズをはいていて、嬉しいことに、一九九九年、「ベストジーニスト賞」をいただきました。このジーンズが体重チェックに役立っています。「ちょっと苦しいから、これ以上は体重を増やさないよう、食べないでおこう」「もうちょっと食べてもいいかな」と、はいている時の感覚が、太ったかどうかのバロメータになるというわけです。

 体調は、心の在り方にも左右されます。「具合が悪い」と思って沈み込んでいると、やっぱり調子は悪いですし。

 年齢とともに、あちこち衰えて来るのは当然。加えて病気の後遺症などもあれば、いつも元気いっぱいというわけにはいきません。そんな時は、自分の心でどう乗り切っていくか、ですね。何事も前向きに考え、ストレスもうまく解消させる。そうできれば一番です。

 ところが私は、昔からストレスに弱い性格でした。付き合い下手で、人間関係がまったく不得意。愛想が悪く、自分の心で感じたことしか口に出せないので、人に誤解される。それがもとで落ち込む。そんなことがしょっちゅうでした。

 さらに完璧主義ときています。仕事では常に百パーセントを求め、そのためにいつもいつも気持ちをピンと張りつめさせている。そんなこんなで自分からストレスを抱え込む一方で、力を抜くことを知りませんでした。

 でも病気をして以来、私は少しずつ変わっていきました。相変わらず人間関係は苦手です。でも、闘病中に触れた人の優しさなどによって、「自分のことをわかってくれる人間は必ずいる」と信じて生きていけるようになりました。すると、気持ちがとても楽になりました。

 完璧主義もやめました。私は自分に厳しすぎたんですね。若い時はそれでもいいでしょう。でも、自分の年齢、体力やのどの限界など考えれば、百パーセントを求めるのはもう無理な話。完璧さを追求するあまり、自分を追い詰めてしまっては何にもなりません。そこで目標を百パーセントから、六〇パーセントに落としました。さらに今では「五〇パーセントできればすべてOK!」にしています。

 おかげで、生きていることを前よりずっと楽しめるようになりました。今の私のモットーは、「頑張らずに、頑張ろう」--。無理をせず、でも精いっぱいやろうね、ということです。
 病気は、私にたくさんの大事なことを気づかせてくれました。決してマイナスの面ばかりではありません。

 振り返れば、私が歌の世界に進んだのも、七歳の時の大ケガに端を発します。割れたガラスの瓶に手を突っ込み、手首から肘近くまでの太い血管を四本も切るという大ケガでした。以来、左手は使えなくなり、私自身も人としゃべらない暗い性格の少女になっていました。そんな私を元気づけるためか、母はよく歌をうたってくれ、それが私が歌と出会い、歌を好きになるきっかけになったのです。

 手をケガしたのは疎開先の村。当時は今のように医療も発達しておらず、私は出血多量で死んでもおかしくない状況でした。だけど死なずに済んだのです。村の人たちが口々に「ちよちゃ〜ん」と呼びかける声に目が覚めた時、最初に見たのは、私を覗き込んでいるみんなの目でした。意識が戻ったことを喜んでいる目です。今でも何か苦しいことがあった時、この顔を思い浮かべると、勇気づけられる気がします。

 左手が使えないことで苦労もしましたが、だから頑張れたのだし、ずっと歌の世界で生きてこられたのです。ケガにしろ乳がんにしろ、私には神様から「命をもらった」という思いが強く、だから有り難いし、悔いがないように生きないと申し訳ない。心からそう思います。
早いもので、来年で歌手生活は五十周年を迎えます。とにかく歌が好きでここまで来ました。これから先も、私の歌で「元気をもらえたよ」とおっしゃるファンの方たちの声を励みに、一日でも長く歌い続けたいと、それだけを願っています。

 
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