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人間国宝の故・五代目柳家小さん師匠の孫にして最後の弟子だった柳家花緑さん。
江戸時代から四百年続く日本独特の「落語」という話芸の若き担い手として、今、活躍が最も注目されています。
その花緑さんに、亡き小さん師匠への思い、落語にかける情熱などを伺いました。


Vol.15(2004年3月)

 なるべくして落語家に

 僕が落語家になることは、生まれた時から決まっていたようです。その道をつけてくれたのはおふくろです。小さんの長女であるおふくろは、子どもが生まれたら一人は落語家にしたいと考えていたといいます。

 僕は二人兄弟ですが、三歳上の兄(世界的に活躍するバレエダンサーの小林十市氏)は赤ん坊の時からとても可愛かった。当時の写真を見ると、目はクリッと大きく色は白く、ホント、女の子みたいな顔をしています。こりゃ落語家よりバレエだと、おふくろは判断したんでしょう。

 一方、この僕。産み落としてすぐにおふくろは「間違いなく小さんのDNAを受け継いでいる顔だ」と思い、かくして僕は落語家になることを運命づけられたというわけです。

 小さい頃にはバレエも習いましたよ。ただし、僕は兄貴にレッスンを続けさせるための『囮』。小学校五年生位になって羞恥心が芽生えてきた兄貴は、「タイツをはいてバレエをやるのはイヤだ」「弟が一緒ならやる」と言い出し、僕が駆り出されたという訳です。

いわばスペースシャトルのサブエンジン、本体を軌道に乗せればいいだけの役目で、実際、一年後に僕がバレエを「やめたい」と言ったら、「ああ、いいよ」とおふくろにアッサリ言われました。「お前は落語家になるんだから」と。

 九歳で落語を始め、高座に上がってみると、これがすごくウケる。今にして思えば、子どもが大人びたことを言うからウケただけの話ですが、ガキの僕は勘違い。「こりゃいいや」と正式に祖父に入門したのです。

 それまでの僕にとって祖父は、「永谷園の《あさげ》のおじいちゃん」であり、しょっちゅうテレビに出ていて、忙しくて家にはほとんどいない人。「うちのおじいちゃんは有名人らしい」というくらいが子どもの認知の仕方です。

その祖父が師匠となるわけですが、落語家として、人間として、僕が祖父の偉大さをきちんと捉えられるようになったのは、僕が真打ちになって以降、この十年くらいのことかもしれません。

 七光は自分の特権

 落語の世界に入ってから、祖父の名前は常についてまわりました。誰かに紹介される時も自分の名前は消え、「柳家小さんの孫」だけがクローズアップされる。二ツ目時代の僕の芸名は「小緑」、真打ちになってからは「花緑」ですが、まるでおじいちゃんの「付録」です。当時はそれが辛かったですね。

 小さい頃から親の言うことをよく聞く「素直ないい子」だった僕ですが、十八歳の時、遅ればせながら、ちゃんと反抗期がやってきました。失敗せずに安全なところを歩いていって欲しいという親心に反発し、僕は失敗してもいいから何でも体験してみたい。当時、教習所に通って車の免許を取ったのも、ただ経験したいがため。その証拠に、以後、免許はあるものの、ただの一度もステアリングを握ったことはないんですから。(笑)

とにかく、十八歳で僕は自我に目覚めたわけです。親に距離を感じ、ナマイキにも「本物になりたい!」と心で宣言。本物が何かも知らないくせにね……。
「小さんの孫」と言われるたび、「自分を見てくれ!」と言いたいけど、自分には何もないことに大ショック。

毎日突き詰めて考えていたら眠れなくなり、熱まで出てしまいました。そんなふうに頭を使ったことがなかったから、知恵熱だったんでしょう(笑)。ともかく、「自分って何だ?」と自問自答しながら尾崎豊を聴く……。ある意味、青春真っ盛りでした。

 二十二歳で真打ちになった時も、「戦後最年少での真打ち昇進」と言われ、新たなプレッシャーに押しつぶされそうでした。 しかし、真打昇進披露パーティーの席での祖父の言葉が、僕を勇気づけてくれました。

「孫は七光と言われていますが、そうではありません。私は祖父ですから、孫は十四光です」
 という冗談に寄せ、祖父は僕のことを、七光でもいい。芸人はどんなものでも利用して前に前にと出なくちゃいけない――そう言ってくれました。それで潰れるようなら、いずれどの道、ダメになる。だけど祖父は、「こいつはいける」と、僕に賭けてくれたのです。

 僕の考え方も変わってきました。自分を振り返ると、物事の悪い面ばかりしか見ていなかったことに気づいたのです。小さんの孫であることは悪いことなのか、不幸なことなのか?

 よくよく考えてみれば、僕は一番下の弟子であるにもかかわらず、師匠から直に落語の稽古をつけてもらえました。小さんの晩年、落語会や独演会で地方に行くとき、付き人として同行することが多かったのも、孫の僕が一緒だとおふくろも安心するからで、そばにいる時間は長く、祖父とは落語の話がたくさんできました。身内の特権です。

 それまでいろいろ悩み、もがきましたけど、今では 「小さんの孫」は僕にとって最高のアクセサリー、とてもありがたいことだと受け止めています。

 笑いのある真剣さで取り組む

「芸は人なり。人は芸なり」とよく言われます。自分の成長がなければ芸の成長はない。その言葉の本質が自分なりにわかってきたのはここ十年くらいのこと。高座には普段の自分が出てしまいます。

いわば高座は日頃の自分の集大成。高座の上だけつくろっても、どこかでボロが出る。普段の生活、自分にとっての二十四時間を真剣に生きることこそ、実は高座を大切にすることにつながると僕は考えます。

 二十四時間を真剣に生きると言うと、いつも必死で息が抜けないように思う人もいるかもしれませんね。そうではないんです。「真剣」と「深刻」の違いってあるでしょう。眉間に皺を寄せて何かをするのが「深刻」。

一方で、楽しみながら目標を達成しようとするのが「真剣」。真剣には笑顔があっていい。
 日本人は深刻を好みがちですが、何事も深刻な態度ではなく、陽気で笑顔がある真剣で行こうというのが僕の姿勢。日々の時間を真剣に過ごすというのは、何でもない日常を、いかにワクワクしたり、楽しむことができるか、ということでもあります。

 そうやって、物事を肯定的に捉え、それを楽しむ心の余裕をもてば、ストレスのかかり方も違う。このことが、病気をしないことにもつながります。

 病気とは、「負」の要素が積み重なった結果。言葉にしても、不平、泣き言、悪口などの「負」の言葉を多く使うと、それが体に蓄積して病気を誘発するような気がします。だから日頃から「嬉しい」「楽しい」「好きだ」といった肯定的な言葉をたくさん使うようにするのです。肯定的に物事を捉えれば笑い声もついてくる。笑うと免疫力も高まるそうで、それを習慣にするのが健康の秘訣かもしれません。

 僕は同業の林家きく姫と婚約中で生活も共にしていますがその日常も笑いが多いですよ。「これはこう」と何かに執着したり、「いや、そうじゃない」と論理にハマって深刻な空気になりそうな時は、「そうだね」と譲ればいいんです。「それよりさ」と違うことに話を切り替えるとか。とにかく目の前の「今」を楽しむことが大事です。

 さて、落語の話にもどります
と、僕は落語を「座布団一枚の宇宙」と定義しています。座布団に正座して話すことで、上下(かみしも)といった空間設定ができ、さまざまな動き――例えば揺れる仕草だけで歩く様を表せたり。登場人物も、ウラ書きのナレーションもやれば、演じ分けて何役もこなす。いわば一人演劇。しかもセリフ一つで一瞬にして場面転換ができるのです。すごい芸能だと思います。

 演じる人間の技術や能力によって、さらに深くも広くもなる世界……。一生かかっても征服しきれないだろうけど、自分の成長と共に、これからもチャレンジし続けていこうと思います。


 
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