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歌謡界の第一線で多くのファンを魅了し続ける八代亜紀さん。十年ほど前から絵画に本格的に取り組み、海外でも賞を受賞するなど画家としての顔もお持ちです。周囲を明るくする笑顔が印象的な八代さんに、素敵なアトリエがあるご自宅でお話を伺いました。
Vol.26(2006年11月)

物心ついた頃から絵はよく描いていました。私の絵にはブルーをよく使います。朝焼けの前の藍色、夕刻から暗闇が訪れる直前の青色が大好きなのです。亡くなった父も画家志望で、よく真っ青の海原をスケッチしていたそうです。色使いの趣味は父譲りかもしれませんね。
 今は月に四日ずつ二回ペースで箱根のアトリエに通っています。仕事を終えたら、さっと用意して、主人やスタッフたちとともに出発。賑やかな合宿みたいです(笑)。私は周りの人たちが楽しそうにしている声を聞いていると幸せを感じて、作業に集中できるのです。ギアチェンジできる大切な時間ですが、プロダクションの社長として忙しい主人にとっても心の休日になっています。主人は陶芸をライフワークにしていて夫婦で創作活動を楽しんでいます。箱根での創作時間はきっちり取ること。これは結婚以来、二人の約束事です。
 絵を描いているとメロディーが湧き出てくるし、歌っていると絵が浮かんできます。超ハードスケジュールですが、私にとって歌と絵は両方なくてはならないものです。
 私が八十歳になった時、若い人たちにとって私の立ち居地は“画家・八代亜紀”になっているかもしれません(笑)。それで年に一度ディナーショーを開催するの。八十歳の私が歌う「舟歌」に「え!画家の八代亜紀って歌手だったの?!」そんな風にビックリさせたいですね(笑)。

 人前で歌うことは苦手な子どもでした。近所の人たちが座布団持って「アキちゃんの歌聴きにきたよ」って来るのですが、逃げてばかりいる恥ずかしがり屋の女の子でした。    
 それが十一歳の時、父が買ってきたジュリー・ロンドンという歌手のアルバムジャケットを見て、衝撃を受けました。何故って、五、六歳の頃夢見がちで描いた絵そのものの?ドレスを着てマイクに向かうロングヘアの女性?だったのですから。彼女のプロフィールを見たら「アメリカの一流クラブシンガー」とありました。「これだ!」私も彼女のようにクラブシンガーになると固く決意しました。今にして思えば、とんだ“クラブ”違いでしたが(笑)。
 私はこうと決めたら100%全力投球。16歳で単身上京し、レコード会社の研究生として銀座のクラブで歌いしました。もちろん両親は大反対。父には勘当されました。今だったら両親の気持が痛いほどわかりますが、若かった私には将来への希望が勝っていたのです。
 クラブのママやホステスのお姉さん達には本当に可愛がってもらい、感謝しています。彼女たちが私の歌を聴いて涙しながら言うのです。
 「アキちゃん、レコードを出しなさいよ。日本全国の人たちにアキちゃんの歌を発信して励ましてあげて」
 クラブ歌手としての生活に満足していた私は、当時多額のお金を負担してまでレコードを出すことを拒んでいました。ですが、熱い言葉を受け、意を決しました。レコード会社と契約、歌手「八代亜紀」として、手に豆をこさえながらトランクをひっぱり、地方巡業の日々が始まりました。
 「アキの歌への一途な想いは本当だった。こんな時こそ家族が応援しないでどうする」 

 大反対していた両親は上京し、私を支えてくれました。不遇な数年間でしたが、家族のありがたさ、人生の厳しさを学べた貴重な時代でしたね。

 「恋街ブルース」が試金石となり、四十八「なみだ恋」が大ヒット。デビューしてから七年の歳月が過ぎていました。この頃、あるファンの方から「八代亜紀の歌はうちの女房であり、お母さんであり、子どもでもある」と聞いて心が熱くなったこともあります。
 “トラック野朗のマドンナ”なんて言われましたが、今でもたくさんの方々に応援いただき、ありがたいことだと思っています。
その後「舟歌」や「雨の暮情」という名曲に出会い、レコード大賞にも恵まれ、まさに超絶頂期を迎えました。
 ですが、女の厄年の頃から、人生最大の心のスランプに陥りました。原因は人間関係。当時の私は全国でのコンサート、劇場公演、テレビ・ラジオの仕事、まさに身を削って仕事をしていました。なのに金銭トラブルが発生して稼いだお金が水の泡のように消えてしまいました。悪いことは重なり、この時期最愛の父も亡くしました。
 ドン底に叩きつけられて、私は決心したのです。「人間関係を一度断ち切ろう」と。旧い付き合いはもちろん大事なのですが、踏ん切りをつけねばならない時もあります。デビューから、最高の時も最悪の時も私を守り続けてくれたマネージャーと二人で、今までのことを全てゼロに戻しました。そのマネージャーこそ、今の主人です。全てを刷新した翌年、四十代で私たちは結婚をしました。

 大スランプを乗り越えて、自分は今、日々幸せに生かされていると思っています。主人、素敵なスタッフ、たくさんのファンの方々に囲まれているのですから。悩んだっていい。葛藤し、苦しみながらも、自分を思ってくれる人の言葉に耳を貸し、前向きな気持で生きていれば、その先にはきっと最高の人生が待っているのですから。
生命の力を信じて走り続ける私の生き方

 「毎日、とっても幸せ!」満面の笑みで語る八代さんですが、超ハードスケジュールの日々をこなしていらっしゃいます。ツアーが始まるとそれこそ怎鴻P弁搗アきなのだとか。「でもね、楽しいスタッフたちと一緒だと、何を食べても美味しいの。但し、ハイヒールで長時間ステージに立つ職業上、毎日のストレッチは欠かせません。自己流アキちゃん体操ですけど(笑)」「年相応の女性の美しさを大事にしたい」という八代さん。内側から滲みでる自然体の美しさと優しさ。ご家族や周囲のスタッフに対する感謝の気持ち。いち女性として大切なことをたくさん教えて頂きました。

 
繊細なタッチの八代さんの自画像。少女のアキちゃんと歌手・八代亜紀。
左/想い出(1998年/ル・サロン展入選作品) 右/舞夢(2005年/ル・サロン展入選作
 
 

八代亜紀 やしろ・あき(56歳)
1950年熊本県八代市出身。73年、出世作「なみだ恋」で一躍スター歌手に。その後「もう一度逢いたい」「愛の終着駅」「舟唄」などのヒットで“演歌の女王”の座をつかむ。80年「雨の慕情」で日本レコード大賞受賞。映画やドラマにも出演。10年ほど前から趣味の絵画に本格的に取り組み、98年フランスの美術展「ル・サロン展」に作品「想い出」が入選。以後5年間連続入選するなど画家としても活躍中。

1971年 「愛は死んでも」でデビュー。
1972年 「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜きチャンピオンに。
1973年 「なみだ恋」が100万枚を超える大ヒットに。
NHK紅白歌合戦に出場する
1979年 初めて男性の気持を歌にした「舟唄」も異例の大ヒット。
1980年 「雨の慕情」で第22回レコード大賞受賞、サビのフレーズが一大ブームを呼ぶ。
1985年 初個展開催。
1990年 デビュー20周年記念曲「花束(ブーケ)」を発売。
1998年 ル・サロン展(仏) 初出展、初入選。
2002年 ル・サロン展 5年連続入選。
2003年 政経文化画人展 内閣総理大臣賞受賞。毎年全国にて個展開催。
2006年 シングル「女心と秋の空」を発売。
   
感謝の心をカタチに… 〜ボランティア活動〜

1973年〜現在:少年院初慰問以来、全国の女子刑務所での慰問コンサートや交通遺児のための「チャリティー絵画展」を精力的に行う。
1992年:ペルーに「COLEGIO YASHIRO AKI(ヤシロアキ工業技術学校)」を設立。

 
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