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Vol.12 池田理代子さん

劇画『ベルサイユのばら』の作者、池田理代子さんは四七歳の時、声楽を学ぶために東京音楽大学に入学。現在はソプラノ歌手として活躍中です。劇画家から歌姫へ--。 新たなステージでの日々はどんなふうに輝いているでしょうか。

池田理代子さんが音楽大学に入ったのは、少女時代から抱いていた夢の実現のためでした。ピアノを習い、いつも歌を口ずさんでいるような女の子だった池田さんは、一度は音楽大学に進むことを目指したものの、別の進路を選びました。 そして大学在学中の十八歳から劇画を描き始め、以後、人気劇画家として創作活動を続けてきたのです。そんな池田さんが声楽を習い始めたのは三〇代になってからのこと。

「唱歌とか童謡とか、昔はきれいな日本語の歌がたくさんありました。ところが今は、子どもたちの音楽の教科書からも、そういった歌はどんどん消えています。じゃあ、自分が日本の古い歌を歌おうと、クラシックの声楽を習い始めたんです」

趣味として始めた声楽のレッスン。七年、八年と続けるうちに、少女時代に一度はあきらめた『音楽大学に入って音楽を学びたい』という思いへの熱が高じ、ついに音大受験を志すこととなるのです。

「四〇代になって、自分の今までの人生、残されたこれからの人生のことを考えました。そうしたら、子どもの頃から抱いていた自分の夢を叶えるのは今しかないと……」

東京音楽大学への受験を決めたものの、劇画家としての池田さんの仕事のスケジュールは、ずっと先まで決まっています。長編連載も抱えていました。まして音大の入学試験は聴音、楽典、外国語といった学科試験のほか、ピアノや声楽など実技の試験がたくさんあり、受験のためのレッスンにも通わなくてはなりません。そこで、一年をかけて仕事を整理し、並行して受験勉強を始めました。

「仕事をしながらの受験勉強は、精神的にも物理的にもハードでした。あれほど必死で勉強したことはありませんでしたね」

そして念願叶って入試に合格。四七歳の音大生となったのです。

「入学直後、『あなたが本当にあの"ベルばら"を描いた人なの?信じられない!』と同級生に言われ、オスカルの顔を描いて見せたりしたこともありました(笑)。勉強は大変でしたね。とくに実技系で耳を使うものだとか、年齢による衰えを実感させられました。授業は土曜の午後までびっしり。四年間、よく頑張れたなあと思います。

音大には一般の大学と比べ、年齢の高い学生が結構いるんですよ。いったん社会に出てから入り直した人、子育てが終わったので入学した女性とか。音楽に限らず、あらためて勉強しようとか、何かにチャレンジしようという時、その人なりの条件が整う時期というのがあるんですね。一方で、条件が整ってもなかなか踏み出せない人も多い。私も五年間、悩みました。なぜなら、二八年間続けてきた劇画家としてのキャリアを振り捨てなくてはいけない。当時は劇画のアシスタントを抱えていたし、仕事を辞めれば収入は途絶える。しかも、音大ってお金がかかるんですよ。でも、自分の人生です。それに何かを選ぶなら、別の何かを諦めなくてはいけないんですね」

音大を卒業し、今、池田さんはプロのソプラノ歌手として活動しています。もともとスリムな体型でしたが、声楽家に必要な体づくりのため、音大に入る前から体重を増やすよう努力を続け、今は当時より二〇キロ増。

「食べても太らない体質でしたから、泣き泣き食べていました。そして、ごはんを食べたらすぐに寝る。お相撲さんと同じです(笑)」

公演は月に二、三回。そして週に三回は定期的なレッスンがあります。一つの公演のためには何カ月も前から準備をしなくてはいけません。孤独なレッスンを地道に続ける--。その点では、劇画の仕事と同じだと池田さんは言います。

「劇画も、完成した作品は華やかでも、そこに至るまではひたすら地味な作業ですから」

声楽家にとって、舞台の本番に向けてのコンディションづくりは特に気を配ります。声を出すのに重要なのは下半身。下痢をすれば、お腹に力が入らず致命的なのだそうです。そして、常に注意しているのは風邪をひかないこと。

「ところが、どんなに気をつけていても、本番が近づくと神経質になるあまり、必ず一週間か十日前に風邪をひく。それが癖になるんですね。そういうのがつらくて、舞台に上がるのをやめて指導者側にまわる人も多いんです。私の場合、今では風邪をひく時期も計算に入れて準備するようになりましたが」

声楽家としての活動期は、三〇代後半から四〇代までが盛りで、五〇歳を境に、みんな第一線を退くことを考えると言います。四七歳で声楽家を志し、現在、五六歳の池田さんの場合はどうなのでしょう。

「私の年齢では歌える期間に限りがあります。だから、『人気上昇中でありながら、引退間近のソプラノ歌手です』と自分で言ってるんですよ(笑)。ただ、今のところ、レッスンすればするだけ、ちゃんと上達している。声って二カ月でも確実に変わるんですが、レッスンの成果が自分でもわかる。でも、いつかは体のほうがついていかなくなる時が来るでしょう。公演のたび、『来年もステージに上がっていられるかな、どうかな?』と思いながら歌っています」

池田さんは二年前に、「渋谷アーツサロン」を開き、そのプロデュースを行っています。外国語やアートフラワー、手芸、茶道など、少人数で何かを学ぶための教室、そしてギャラリーや小さなパーティとしても使えるアットホームな空間です。

「私もいつか声楽家として引退する日が来ます。そうなった時の老後の楽しみとして、このサロンを開きました。人が集える場になればいいなと思って。音楽教室の生徒さんの中には、六〇歳を過ぎて生まれて初めて歌にチャレンジした方もいて、『こんなに楽しいことがあるとは知らなかった』と。毎日お年寄りの介護をして煮詰まっていたけど、『週に一度、ここに来てワァーと声を出すとスッキリする』とおっしゃる五〇代の主婦の方もいます。寿命も伸び、みなさん歳を重ねても、何か生き甲斐や楽しみを見つけたいんですね。そのお手伝いが出来ればいいし、私自身も楽しみたい。お稽古にかこつけて、おしゃべりしに来る。それでもいいんです」

いくつになっても、どんな状況でも、思いがあれば、学ぶチャンスはあるし、楽しみは見つけられる。人生をより豊かにできる--。それは池田さん自身が実践してきたことでもあります。その池田さんは今、フラダンスも習い始めたとか。さて、ソプラノ歌手としてだけでなく、池田さんは公演のプロデュースも手がけます。来年二月に上演予定の創作オペラ『フィガロの結婚』(池袋・芸術劇場大ホール)では、プロデュース、ナレーション、衣装デザイン、そして伯爵夫人の役でもちろん出演も。

そして、来年八月に行われる小林研一郎さんの指揮、日本フィルで歌う『第九』のコンサートではソプラノのソリストとして主演します。

劇画のほうは「仕事は抱えてはいるけど、これからはお話をいただければ考える程度」ということですが、ソプラノ歌手としては、「引退」という言葉はまだまだ先のようです。

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