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Vol.27 浜美枝さん

凛とした雰囲気で多くのファンを魅了し続ける女優・浜美枝さん。農業と日本文化を守る運動の牽引役としても、エネルギッシュな活動を続けていらっしゃいます。

日本の文化・美に傾倒した若い頃

箱根にある、浜さんの美意識が集結されたご自宅にて、これまで歩んでこられた道のり、大切にされている価値観についてお話を伺いました。

箱根に住んで三十年になります。この家は、十二軒の古民家の古材の一木も無駄にせず、長い歳月をかけて作りました。解体作業から立ち会い、番付を行い、箱根神社のお神酒で全ての木を清めて頂きました。

私は昔から、やりたいと思う事は、長く思い続けてしまう性格です。「民家再生」の夢も、実は十代の頃から思い描いていました。

十四歳の時、図書館でふと手にしたのが(注1)柳宗悦先生の本でした。柳先生の説く「用の美」という思想に、初めて触れた時の感動は今でも覚えています。中学卒業と同時に、私はバスの車掌として働き始めました。経済上の理由もありますが「柳先生の足跡を訪ねて全国を旅したい」という想いもありました。車掌として働いたのは一年間でしたが、人様の命や金銭を預かる責任や時間厳守の大切さなど、人間としての基礎を学べた貴重な経験でしたね。

自らの意志で切り拓いたわけではないのに、人生は思いがけない方へ導かれる時があります。十六歳でスカウトされ、女優業をスタートした時もそうでした。

デビューして間もなく、写真家の(注2)土門拳先生に京都で撮影をして頂く機会に恵まれました。十代で、土門先生のような審美眼を持った方とご一緒できたことは、たいへん贅沢だったと思います。撮影の合間に、先生なじみの道具屋さんに連れて行って頂いたのですが、その時先生がこう言われたのです。「自分の目で確かめて、本物を見なさいよ」。その道具屋さんで私は、一つの信楽の壷に出会いました。見た瞬間、体中に電気が走ったといいますか…。結局、事務所からお給料の前借りをお願いして(笑)、その信楽の壷を買いました。十七歳の頃です。

(注1)日本民芸運動の創始者。朝鮮の李朝の工芸品を広く紹介し、日本の生活用品や器が持つ”用の美”を提唱した

(注2)リアリズム写真を確立した写真界の巨匠。報道写真の鬼と呼ばれ、その名は世界的に知られている。

十代でヨーロッパ旅行 女優という仕事への決心

「好きで入った道ではない」という想いが常にあったのでしょう。十七の終わりには、女優を辞めようと考え始めました。でも辞める前に、当時大ファンだったマルチェロ・マストロヤンニ氏の舞台や、本物の芸術作品に触れようと、イタリアへ一人旅に出ました。到着した日から、マストロヤンニさんの芝居を観に劇場へ通いづめ。東洋人の女の子が毎日来るわけですから、目立ちますよね。ある日、切符切りのおばさんのご好意で、マストロヤンニさんにお会いできる機会を得ました。ドキドキしながら楽屋で待っていると、舞台を終えたばかりの、汗びっしょりのマストロヤンニさんが声をかけて下さいました。「日本では、何をしているの?」片言の英語で「女優の卵ですが、帰国したら辞めようと思います」と申し上げました。すると「この汗を見てごらん。この汗は、お客様が喜んでくれた汗だよ」と。この一言に、私は物凄いショックを受けました。「人に喜んで頂く努力をせずに、私は何て傲慢なのか」と。マストロヤンニさんとの出会い、その後続けた旅を通し、私は女優を続ける決心を固めました。

二十二歳の頃、映画『007』シリーズのボンドガール役を頂いたことは、女優として大きな転機となりました。英国での長期ロケ、人種や宗教の違う大勢のスタッフ、言葉の壁…。緊張の連続でしたが、プロの世界の厳しさと自己管理の大切さを学べました。主演のショーン・コネリーさんにも優しくして頂きましたね。滞在したホテルには、オードリー・ヘップバーンさんやソフィア・ローレンさんが宿泊されていました。皆さん、お付きがいるわけでもなく、自立した大人の品格にあふれていらっしゃいました。一流の俳優たちの世界に触れたことは、心の財産です。

母親として、女性として魅力的であるために

女性の場合は、仕事だけではなく、ギアチェンジしないといけない時がありますね。私は二十九歳で結婚をし、四人の子供を授かりました。子育て中は本当にめまぐるしい日々でしたが、この経験によって、生活の基盤や仕事の方向性が自然と変化してゆきました。「自然の中で子育てをしたい」と思って箱根へ移り住んだこと、食や環境問題に取り組み始めたのも、子育てを通してその大切さを時間したからです。

食や環境の問題を突きつめますと、根幹にあるのは「農業」です。「今、私がやるべきことは農業や農村について考えていくことだ」四十代からそう考え、以来、女優業から講演や取材、行政の仕事へと移行し、全国の農村を旅し続けてきました。職業を訊かれたら「旅人です」と答えたいぐらい(笑)。今年の秋には食育に関する著書も出版しますが、職業上、発言できる場を与えて頂いた事も感謝していますね。

四人の子供たちも成人し、それぞれの道を歩み始めました。私自身は、六十三歳になり、身じまいといいますか、七十代に向けてどんどんシンプルに生きてゆきたいと思っています。

そのためには、自分にとって心地よい価値観を持つことが大切です。価値観がぶれると人は不安になるのでしょう。私の場合は、それは自然の中で暮らすことであり、十代の頃に知った「用の美」の世界をさらに深く知り、愛でて育むことです。

また、いつまでも、魅力的な女性であり続けたいと思いますね。私は三つの「ショク」ということを実践しています。安全で美味しい「食」、いきがいという意味での「職」、おしゃれ心の「飾」。

この三つを心がけることで人生はより豊かなものになると思います。

取材を終えて

十代から美意識に目覚め、女優として活躍された二十代。四人のお子様と向き合った三十代。農業というライフワークをスタートした四十台から今日に至るまで・・・。浜さんの生き方を紐解くと、その時々の選択に”自立の精神”を見てとれます。「自分が現場から身を引くタイミングも大切です。次世代に引き継いだら、次の分野に移行していかなくては」

今育てるべく種を見つけ、全身全霊で育て、実を結ばせる浜さん。たおやかな笑顔の内側にある真の強さに、深い感銘を受けました。

1961年、イタリアの楽屋でマルチェロ・マストロヤンニ氏と

”本物”を求めて全国の美術館巡りに夢中だった18歳の頃

1967年、日本人として初めてボンドガール役に抜擢。ジェームズ・ボンドと結婚?!という珍しいシーン

浜 美枝 はま・みえ(63歳)1943年東京に生まれる。中学卒業後バスガールをしていた所をスカウトされ、1960年女優デビュー。1967年『007は二度死ぬ』ではボンドガールに。現在、文化放送のラジオ番組「浜美枝のあなたに逢いたい」に出演中。また、国土庁・農林水産省・食アメニティを考える会会長をはじめ、農政ジャーナリストとして各種委員会のメンバーも務める。ライフコーディネーターとして講演、著書も多数。

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