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Vol.31 野村万作さん

日本の伝統「狂言」を演じて70余年。昨年夏には人間国宝に認定されたさん。芸ひとすじの孤高の人は、温かく優しい眼差しをしていました。

じっくり聞いておかしみを味わってほしい

ゆっくりと語られる一言ひと言に、「狂言」への深い思いと情熱がにじみます。

最近は狂言を楽しむ風土も徐々に広がり、世のお笑いブームも手伝ってでしょうか、若い方が非常に胸襟を開いてリラックスして観てくださる。これは喜ばしいことですが、ちょっとおかしいとワッと笑うという傾向がなきにしもあらずですね。セリフの中の一つの言葉を即座に捉えて笑われるので、後に続く本当に面白いところを聞き逃されたり、誤解しておられたり…。

例えば、いかさまという言葉が『木六駄』(※1)という狂言に出てきます。主人の言いつけで、太郎冠者が薪や酒などの伯父への歳暮を牛に積み、雪の中を出かけていく。途中、あまりの寒さに茶屋へ寄って酒を所望すると、茶屋は酒を切らしていて「お前が持っている酒を飲めばいい」と言う。歳暮の酒だから飲むわけにはいかないと断わっても、茶屋は「少しだけ飲んで、水を入れておけば大丈夫」とそそのかす。

そこで、太郎冠者は「いかさま濃い酒じゃによって、あとへ水を入れたりとも知るることもあるまいか」と言うんです。この「いかさま」は、「本当にあなたの言うとおり(濃い酒)」という意味です。ところが、イカサマ師のイカサマと思って「いかさま」と聞いた途端に笑いが起こる。誤解の笑いです。このように言葉を表面的に取り過ぎるのは、お笑いブームの困った影響かもしれません。やはり、古典はじっくり聞く、これが大切なんですね。

とはいえ、同じ古典でも時代時代、観客の好みによって変わっていくのは確かです。祖父の芸と父の芸の間にも変化があった。現代劇の舞台を経験した私には、父とは違う表現の仕方がある。私の芸と倅の芸も当然変わっていくことでしょう。今までも狂言はそうやって流動変化しながら伝えられてきました。ただ、変わってよいところと変えてはいけないところの両方が相俟って行くことが重要だと私は思うんです。

また、私が狂言で理想としているのは、人を和ませて、観た後もそこはかとない笑いが残る「和楽の笑い」です。近頃は「狂言を観て元気をもらった」という感想をよくいただきますが、元気にさせるのも笑いの効用の一つですね。そういう笑いが狂言の芯にあるべきだとも思っています。

※1『木六駄』きろくだ(牛6頭に積める薪の量を指す)…薪と炭と酒樽を伯父の家に運ぶよう命じられた太郎冠者(主人に仕える者)。途中の茶屋で酒は飲み干すわ、薪も茶屋にやってしまうわ。炭だけもらった伯父は歳暮一覧がしたためてある書状を読み、太郎を詰問する。太郎がした言い訳とは…?

こだわりすぎてはダメ この歳になって学びました

加齢世代になると、思うようにいかないことも増えてきますね。

私が一番好きで、今後も一番やりたいと思う『釣狐』という曲があります。年齢を重ねて百歳の古狐の心情もわかり、作品の芯も捕まえて深く演じられるようになったのに、場面の中の激しい動きができないという矛盾が出てくるんです。『釣狐』(※2)を盛んに演った頃、私は公園で縄跳びを300回したあと15階のマンションの部屋まで階段を走り上がれた。いまは地下鉄の階段の昇り降りでも息がはずみます(笑)。これでは『釣狐』はできません。残念です。もちろん、動きを激しく「見せる」技巧でなんとかやってみたい、という思いは未だにもっていますけれども…。

また、この歳になって学ぶこともあります。こだわって完璧を追い求め過ぎるのはマイナスだということです。ある舞台のために、2カ月ほど前から寝ても覚めてもセリフを覚え、完璧に準備したつもりが初日に間違えてしまった。ある人に「こだわり過ぎじゃないですか。もっと心をリラックスして、自然体で舞台に出たほうがいいですよ」と言われました。2日目もこれまで経験したことのない不安感に襲われたので、一人で少し体を動かしてみた。すると気持ちがほぐれるんですね。そういえば、父も晩年、舞台が怖いと言っていた。自分流の体操も欠かさずしていたな、と思い当たりました。

責任ある立場になったり、人間国宝などと言われると、優れた舞台をしなくちゃならない使命を背負わされてしまう。しかし、完璧にこだわってその厳しさに押し潰されたらだめなわけで。克服するにはリラックスした心が大切、と、自分に言い聞かせました。つい最近のことですよ。いくつになっても学ぶことは多いです。

※2『釣狐』(つりぎつね):老狐は一族の狐が次々猟師に捕えられるので、猟をやめさせるため僧に化けて猟師を説得、成功する。ところがその後、老狐自身が罠に掛かり…。着ぐるみを来たまま苦しい姿勢を強いられる、大掛かりで難しい狂言。

扇子は狂言に欠かせない小道具の一つ。

野村万作(のむら まんさく)。1931年(昭和6年)、東京生まれ。早稲田大学文学部国文科卒業。祖父初世野村萬斎・父野村万蔵(人間国宝)に師事。満3歳のとき『靱猿(うつぼざる)』の子猿役で初舞台、19歳で万作を襲名。木下順二作『子午線の祀り』、ギリシャ劇『オイディプース王』など、他ジャンルへの舞台出演も多い。戦後は狂言の復興に尽力し、海外公演も多数行ない、世界に狂言を知らしめた功績は大きい。日本芸術院賞、紫綬褒章、芸術祭大賞、朝日賞など受賞多数。2007年、人間国宝に認定される。著書に『太郎冠者を生きる』(白水社)ほか。

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