活力のあるシニアが
新時代をつくる
様々な分野で活躍している著名人のシニアライフを紹介しています。
凛とした和服姿がお似合いの富司純子さん。歌舞伎俳優・七代目尾上菊五郎丈の妻であり、五代目菊之助丈、女優・寺島しのぶさんの母であり、自身も女優業をこなすそのパワーの源を伺いました。
私が映画デビューしましたのは十七歳の時でした。父が映画プロデューサーとして働いていた、東映のマキノ監督が声をかけてくださったのがきっかけです。あの頃は映画の全盛期がまだ続いていましたから、多い時で月一本のペースで撮っていました。結婚で引退するまでの約十年間に九十本近くの映画に出演しましたが、本当にあっという間でしたね。そんなふうに時代を駆け抜けた『緋牡丹お竜』(注1)ですが、あのお竜さんの立ち回りには、日本舞踊のお稽古も役立っていたと今では思っています。
主人(注2)とは、二十歳の時にNHK大河ドラマ「源義経」で出会いました。結婚を決めた時は、周りから「歌舞伎役者の奥さんは大変だからやめたほうがいい」などと言われましたけれども、私自身は「まあ、何とかなるわ」くらいの気持ちでした。父は大反対でしたね。『緋牡丹お竜』が大変な興行収入を上げていましたから、プロデューサーとしては辞めさせたくなかったでしょうし、やはり役者の妻としてつとまるかどうかということが心配だったのだと思います。結局、出会って七年経ってからの結婚になりました。その間に悔いのない仕事をして辞めようと決めておりましたので、女優の仕事に未練はありませんでした。
結婚してほどなく娘(注3)が生まれました。世間では「一姫二太郎がよい」などと言われますからとても嬉しかったですね。ただ、歌舞伎の世界ではやはり男の子の誕生が望まれますので、息子(注4)が生まれるまでの五年間はやはりプレッシャーがありました。
やっと男の子が生まれてほっとしたのもつかの間、今度は役者修行のため、おむつが取れるか取れないかの頃から、いろいろなお稽古に通わせるのが私の役目になりました。お囃子は藤舎さん(注5)、踊りは尾上の家元(注6)、藤間ご宗家(注7)、お仕舞は観世銕之丞さん(注8)、そのほか、お三味線は柏伴三郎さん、お琴は川瀬白秋さんとあって、すべて必須科目です。一日に二つ掛け持ちなどということは普通でした。健康管理も大事ですが、お稽古が嫌にならないように、子どもの気持ちを考えながら上手に通わせるのはなかなか大変で、学業やお友達とのおつきあいも按配して、臨機応変に辛抱強く通わせなければなりませんでした。自分で自覚ができて「僕、もう一人でお稽古行くよ」と言い出したのは小学校の半ばくらいでしたでしょうか。当代随一の品格のある方々に芸を授けていただいたのは、息子の幸せだと思います。
役者の世界のすべては義母に教わりました。着物のこと、他家とのおつきあいのこと…。着物は私のものだけではなく、家族全員のものに、正装、第二正装、お稽古着、部屋着、普段着があり、またそれぞれに、袷、単衣、絽、紗とあって、季節や場に合わせて数え切れないくらい決め事があります。冠婚葬祭には祝儀、不祝儀をどのくらい用意すればいいか、おつきあいにはどんな常識があるかなど、それぞれの家風もありますから、それは一度で覚えきれるものではありませんでした。本当に義母がいてくれたからここまで来られたと思います。
一九八九年に女優として復帰しました。ちょうど子どもたちが母親をわずらわしく思うようになった時期でした。「自分たちは親離れしてるのに、お母さんはいつまでも子離れができない」なんて言われてしまいまして。「じゃ、私に何ができるの」って考えた時に、ちょうど『あ・うん』(注9)のお話をいただいたんです。主人は結婚した当初から「自分の好きなことを自分で考えてすればいい」と言う人で、その時も「自分で決めたら」と言いましたので、できるものならやってみようかなという感じでスタートしました。忙しいけれど、マイペースで無理なくやっているつもりです。
注1 : 藤純子当時、女賭博師役を演じ大ヒットした仁侠映画シリーズ。
注2 : 歌舞伎役者・七代目尾上菊五郎丈。七代目尾上梅幸の長男。六歳で五代目尾上丑之助を名のり初舞台。二十三歳で四代目尾上菊之助を襲名。三十一歳で七代目尾上菊五郎を襲名。屋号は「音羽屋」。平成十五年、重要無形文化財保持者(人間国宝)となる。
注3 : 女優・寺島しのぶさん。文学座を経て舞台、映画、テレビドラマと幅広く活躍する実力派。
注4 : 歌舞伎役者・五代目尾上菊之助丈。七歳で六代目尾上丑之助を名のり初舞台。十九歳で五代目尾上菊之助を襲名。
注5 : 歌舞伎囃子・藤舎呂船師。
注6 : 日本舞踊尾上流家元・二代尾上菊之丞師。
注7 : 日本舞踊宗家藤間流六世宗家・藤間勘十郎師(のち初世藤間勘祖)。
注8 : 観世流能楽師シテ方・九世観世銕之丞師。
注9 : 1989年の日本アカデミー賞において高い評価を受けた、向田邦子原作による傑作映画。あやふやでありながらも、時代の常識に翻弄される男女の機微を描いた秀作。富司さんは、模範的な市井の主婦でありながら、夫の親友と精神的な情愛を交わすという複雑な役柄を好演し、実力派女優としての地位を不動のものとした。
本業は何かと聞かれたら、「全部」と答えるしかないですね。ただ、第一に考えているのは、寺嶋家の妻であり、母であるということです。 主人と菊之助、しのぶの芝居の初日、楽日、後援会の観劇日、ご贔屓様のご観劇日には必ずお客様にご挨拶をしたり裏の仕事をしなければなりませんし、からだがそう自由に空くというわけにはいきません。 そんな私でもよければ仕事をさせていただくというスタンスです。よく「ご苦労なさったわね」と言われますが、そういったもろもろのことは、苦労と思ったらできません。音羽屋の主婦となり、菊之助、しのぶの親となった私のつとめですね。
本音を言えば、このつとめをできれば早く菊之助のお嫁さんにバトンタッチしたいと思っています。私が義母から寺嶋の家風を教えてもらったように。難しいことでもなんでもないんですけれども、そういう常識を身に着けるにはやはり長い年月がかかりますから、早くいい人に来てもらいたいですね。
ご主人とご子息が七月興行に出演されていたため、この日の取材は奥様としてのお仕事の合間を縫って、歌舞伎座の貴賓室でさせていただきました。絽の白地に露芝の着物が凛とした佇まいによくお似合いで、眩しいほどの艶やかさでした。女優として素晴らしいお仕事をされていながら、「第一に考えるのは寺嶋家のこと」と言い切られ、お疲れの色も見せない。富司さんの美しさは、姿だけではなく内面から輝いているように思いました。
ふじすみこ(59歳)/1945年、和歌山県生まれ。京都女子学園高校在学中に、藤純子の芸名で「緋牡丹博徒」シリーズに主演。72年、歌舞伎俳優の尾上菊五郎と結婚し、一時引退。74年から寺島純子としてフジテレビ「3時のあなた」司会。芸名を富司純子に改め、89年『あ、うん』で銀幕復帰。長女・寺島しのぶは女優、長男・尾上菊之助は歌舞伎俳優。
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