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Vol.22 和泉雅子さん

テレビの仕事で自然に魅せられて北極点遠征を決行した和泉さん。女性を超えて「人間」を考える時を得て女優としても生まれ変わりました。

女優が何故北極点をと言われたけれど女優だから目指したのかもしれない

銀座の事務所の扉を開けると、透き通る声で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた華奢な女性。普段着の飾らないスタイルながらも、ぱっと周囲を明るくする笑顔と声。それが和泉雅子さんの印象でした。

銀座生まれの銀座育ち。若い頃の和泉さんは映画『絶唱』での役柄のように、純愛を貫く女性を演じることが多く、吉永さゆりさんの妹の役を引き受けることも度々でした。当時は吉永さんと控室も一緒で公私ともに交際があり、二人でお揃いのセーターやペンダントを買ったり、ボランティアで朗読をテープに吹き込んだりもしたそうです。

青春映画のヒロインという役柄から社会派へと変わるきっかけになったのが映画『非行少女』でした。「あの頃は多感な時期でしょ。不良の女の子の役なんてあんまりやりたくなかったんですよね」

清純派の役しか演じたことのない和泉さんに非行少女の役は無理。監督にも最初はそう思われていたそうです。それでも、少女が何とか立ち直っていく後半部分に心を引かれ、その姿を見事に演じ抜きました。「女優っていうのは待つ仕事(受け身の仕事)なんですよね。人の人生を演じることはあっても、そこに自分自身を表現することはありません。何でも監督さんの言う通りで」

そんな和泉さんが北極点を目指すことになった時、多くの人から「なぜ女優が北極点を目指すのか」という疑問が寄せられました。テレビの仕事で行った南極に魅せられたことに始まる北極点への憧れ。「私もなぜだかわからないの。ただ地球のてっぺんに行きたいなって。そこはどんな景色なんだろうって思ったんです」

和泉さんは、北極点は自分を表現できる場所ともおっしゃいました。映画では人の人生を表現する女優が、自分と向き合い、自分自身を表現できる世界を求めて。和泉さんを突き動かしたものの中には、そんな思いもあったのかも知れません。

「騙されても良いじゃないと思ったら人が好きになりました」

北極点の話を出発の一ヶ月前までご両親にしていなかった和泉さんは、了解を得るためにこんな風に話を切り出したそうです。「お父さん。私、宇宙に行きたいんだけど」「そんな地図にも載っていないところはやめなさい」「じゃあ、地図に載っているところなら行ってもいいの?」「まあ、そうだな」「じゃ、ここに行きたいんだけど」と言って指差した先が地図上の北極点。和泉さんのユーモアにはめられたお父さまは、苦笑いで了解したそうです。

和泉さんの北極点遠征隊は男性四人に、女性は和泉さんお一人の計五人。命を守る事が最優先される状況では、女性であることよりも、一人の「人間」として頑張らなければならないと感じることが多かったそうです。「明るい性格が北極点向きなの。『どうせ私なんて』って暗く思っちゃう人には向かないわ」

どんな時にも前向きに考える明るさ、人を信じることの大切さ、先が見えなくても諦めない根気が、北極という極限の地で命を守り、北極点到達に導きました。

女優という仕事は競争も激しいため、和泉さんも以前は臆病で人嫌いだったと言います。それを変えたのが北極点遠征。人のありがたさ、人にとって大事なものは何かということに気づきました。

「騙されたらどうしようって思うと人が恐かったのに、北極点を体験してからは騙されてもいいんじゃないのって思えるようになりました。そしたら人が好きになったんです」

そんな和泉さんの変化を、『渡る世間は鬼ばかり』などのプロデューサーとして知られる石井ふく子さんも「女優として一皮むけた、演技がよくなった」と評価したそうです。「立つ位置はここでよかったかしら、こんなことして他の人に迷惑がかからないかしらなんて、気を使うことで演技をダメにしてたんです。今はすっと抜けたというか。仕事も楽しくなりましたよ」

どうして女優が、と何度も問われた北極点遠征。でもそれが、和泉さんの女優としての演技に、輝きを与えるものとなったのでした。

「病気のうち、本当の病気は40% あとの60%は気分なんですよ ストレスは自分の責任」

北極点遠征には気力も必要ですが、体力、健康も大切なポイント。今でも血液サラサラだという和泉さんに、健康についてお尋ねしました。「私って病気になるのも早いけど、治るのも早いのよね。だから仮病だと思われちゃうの」

書籍『笑ってよ、北極点』の中にも書かれているように、遠征中に肺炎をわずらった和泉さんですが、わずか二日寝込んだだけで回復してしまいました。「ケガをしても、病気をしても精神統一して、治るぞ~って気合いを入れるんです。すると本当に治っちゃうの」

病気のうち、本当の病気は四〇%で、あとは気持ちの問題だと和泉さんは考えているそうです。やはり病は気からと言われるように、病気の部分は治っているのに、治せる、治った、と思う気持ちがないと病気は治らないんじゃないかなとおっしゃっていました。「また、ストレスは自分の責任だと思います。大事なのは発想の転換ですよね。例えば、私を鍛えようと思ってみんなが厳しく言ってくれてるんだわと思った方が、こんなにいじめられちゃって辛いわと思うよりずっといいじゃないですか」

そんな和泉さんの心の楽しみ、ストレス解消法となっているのが、お料理。キッチンが大好きで、仕事で家を離れる時以外は、毎日台所に立って、一時間から一時間半くらいで、最低でも八品、きちんととったおだしを使い分けて、塩を一切使わないで作ります。お酢やしょうが、青とうがらしなどを活かして、新潟の減塩醤油を仕上げにほんの少量使うだけだそうです。

役に立つ簡単なお料理の中で和泉さんのお薦めは、ちょっとお豆腐を切らした時にも活躍する「寒天豆腐」。小鍋でカップ二分の一のお湯に粉寒天小さじ一を煮立ててとかします。そこにカップ一の豆乳を加えて軽くひと煮立ちし、粗熱を冷ましてから濡らしたバットなどに入れて冷蔵庫で冷やすだけ。ワサビ醤油で食べるとおいしいおつまみになるそうです。

今では北海道の山荘で年に六ヶ月を過ごすと言う和泉さん。「自然のよさというのは知っちゃったら最後なのよね。でもいいことずくめの自然だけじゃもの足りなくて。時々は銀座に戻って汚い空気を吸って、やっぱり北海道に居るのが正解なんだって言いながら戻るのが最高なんです」

今の和泉さんは、生き方も「無理をせず、高望みせず」の自然体でいるご様子。「どう生きたって一日は一日。もったいないじゃないですか。楽しい方がいいの。くよくよしたってつまらないじゃない」

和泉雅子さんは、こぼれるような笑顔が可憐な女性でした。

関連書籍

笑ってよ、北極点

発行:文藝春秋
定価:1,300円(税込)
やわらかい言葉でつづられた、女性らしい感性とユーモアにあふれた北極点遠征の探検記。

ハロー オーロラ 和泉雅子写真集

発行:文藝春秋
定価:2,000円(税込)
南極、北極の自然や生き物、そして人々の素顔。普段体験できない世界が紙上で体感できる美しい写真集。

いずみまさこ 昭和22年7月31日、東京生まれ。精華学園卒。10歳で劇団若草に入団、早くから子役として活躍。昭和36年日活に入り、38年浦山桐郎監督の「非行少女」に出演モスクワ映画祭で金賞を受賞。

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