活力のあるシニアが
新時代をつくる
様々な分野で活躍している著名人のシニアライフを紹介しています。
独特な歌の世界と存在感で、世代を超えてファンを魅了し続ける山本リンダさん。今年の夏も、甲子園の応援などで彼女のヒットソングを耳にした人も多いことでしょう。愛らしい笑顔で繰り広げられる“リンダワールド”に、興味津々です!
歌や舞台でみなさんに楽しんでいただくことが私の仕事。そのためには声や美容管理はもちろんですが、健康であることがまず一番なんです。体調を崩せば、大切なファンの方々、そしてスタッフなど多くの方にご迷惑をかけますからね。だから私は自他共に認める”健康オタク“(笑)。でもね、何か特別すごいことはしないの。よく激しいダンスのイメージから、ハードな運動をしていそうに思われますけど(笑)。
心がけているのは、エスカレーターは極力使わない、移動は徒歩か自転車、空いた時間はこまめにストレッチ、などです。また、以前はスタッフに運んでいただいていた荷物も自分で持ち、待ち時間などに上げ下げして二の腕の筋肉を鍛えたりしています。私は空港や街中でも隙あらばストレッチを始めちゃうので、マネージャーには「恥ずかしいからやめて」って言われるんですけどね(笑)。
健康管理もそうですが、食事、美容についてもナチュラル志向ですね。お肌はやさしく丁寧な洗顔をして、天然成分にこだわった化粧水で整えるなど、いたってシンプルです。朝食のヨーグルトの残りにはちみつを垂らし、それで手作りパックの完成。楽しくやれてカンタンでないと毎日続けられませんものね。
様々な出会いが、今の私を育て、創り上げてくれました。中でも、約1年前にお亡くなりになられた阿久悠先生は、誰にもまねできない”山本リンダ“の世界を築いてくださった方でした。『どうにもとまらない』『狂わせたいの』とヒットが続いたその間、先生とお会いする機会はなかったんですね。
初めて空港内のレストランでお見かけした時、「イメージを作り上げないよう、僕はなるべく歌い手とは会わないんだけど」と言いつつも、相席を促してくださったんです。そういえばよく大きな黒サングラスをかけていらしたし、後に「甲子園出場校応援楽団のうち、1校だけがリンダの曲を演奏しなかったな」っておっしゃるなど、照れ屋だけどいつも気にかけてくださってるんだなってうれしく思ったのを覚えています。まだ若く、模索していた私の可能性をひとつの形にしてくださった方。先生には感謝しても感謝し尽くせません。
ジャンルに関わらず、素敵な歌に出会ったときは魂が揺さぶられるような熱い気持ちになります。実は私は、幼い頃からシャンソンが大好き。もともと越路吹雪さんにあこがれたのが、この世界に入ったきっかけのひとつでもありましたしね。89年からは毎年シャンソンの祭典『パリ祭』に参加していて、ステージでもよく歌います。
私は、歌に自分の気持ちを同化させて世界観を作り上げていくので、曲によって発声法がまったく異なるの。例えば『狙いうち』のような曲は、まず気合を入れ音楽に自分の内々のパワーを乗せていく感じですが、シャンソンの場合は、すんなり自分の気持ちを流し込む感じ。自分次第で、表現の可能性は無限に広がっていくんです。だからこそ人との出会いや経験の積み重ねを、味として深めていきたいですね。そう思うと、歳を重ねるってなんてすばらしいことでしょう!いつも「今だからこそできること」にチャレンジし、輝き続けていたいなって思っています。
歌は力や希望を与えてくれます。歌に関する偉大な先輩たちが残していってくれた感動を、私も一生、繋いでいきたいですね。
歩く時は背筋を伸ばして大きく腕をふり、全身を意識してリズミカルに歩きましょう!とっておきの方法は「後ろ歩き」。坂道や階段を後ろ向きのまま降りるんです。この運動はスローピング運動といって、膝や腰に負担をかけずに鍛えるのにとても効果的。脳神経の活性化にも良いらしいですよ。ただし安全には気をつけて!
山本リンダ(やまもと りんだ)。1951(昭和26)年生まれ、福岡県出身。モデルとしてデビュー後、『こまっちゃうナ』『狙いうち』など数多くのヒット曲を連発し、国民的大スターに。以降、幾度にもおよぶ“リンダブーム”が起こり、世代やジャンルを超えて多くのファンを持つ。近年はチャリティコンサートへの参加などボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。
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